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昔の小学校の様子

旭野  林  財二(七十五歳)

上富良野小学校は西小学校の前身、創成小学校より二年遅れて明治三五年七月一日に、三教室でスタートした。
壁は一重の板だったが、各教室には、当時めずらしいストーブがついていて、とても暖かかった。一般の民家にはもちろんなかったから、学校ではじめてストーブを見た人もたくさん居たにちがいない。

変っていたのは、二ヶ所ある生徒通用口の玄関に、ストーブがついていた事だった。寒い朝、四キロも八キロも遠くから歩いて登校する生徒にとって、玄関に入った時の暖かさは忘れられないと言う。

生徒の服装は二〜三人は洋服で、ほとんどはカスリの着物か、木綿のしまの着物で、女生徒の一部はモンペをはいて登校した。小学一年生から六年生、それに中学へ行かない人の為に、高等科一年と二年が居て、一つの教室に例えば六年生と二年生が一緒になって一人の先生が教える複式の教育を行った。

小学一年生は、石板と言う石の板に石筆と言う白い石で字を書いて、ノートのかわりにした。弁当は、米のおにぎりが目立ったが、中にソバダンゴとか、いなきび、それに弁当を持ってこられない子供も居た。町の子供はたいてい昼ごはんを食べに自分の家へ帰っていたそうだ。

大正四年頃の第一次世界大戦は大変な好景気だったので、先生は他の仕事について、どんどんやめて行くものが出、三百人以上も生徒が居るのに、先生は校長を含めてたった四人になった事もある。

現在の三線校舎の附近が一番最初の教室で、正面の入口も、ほぼ今と同じ所。それから二線へ増築されて行った。
(聞き手)金子隆一

かみふ物語  昭和54年12月 2日発行
編集兼発行者 上富良野町十二年生丑年会 代表 平山 寛