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第四章 個人編 女性の職業

上富良野駐屯地の沿革の概要

(上富良野駐屯地広報室 佐藤 仁厚)

 上富良野駐屯地の歴史は、昭和二十五年、当時の警察予備隊・林敬三総監が北海道に演習場適地を求めたことに始まる。旭川から帯広に向かい航空視察をした際、十勝岳山麓に広大な未開地を発見した林総監は、翌二十六年、上富良野町を訪れ調査を開始した。このことが、駐屯地や演習場誘致問題の発端となるが、数年に亘る議論の末、町にとってプラス面が大きいとの主張が優勢を占めるに至り、昭和三十年九月一日の駐屯地開庁への運びとなった。
 駐屯地開庁当時の部隊は、第二特科連隊(現在、旭川に駐とん)を中心に、名寄から移駐した第二戦車大隊、第三四四会計隊、第三三〇固定無線隊(現在の第三〇一基地通信中隊)、業務隊、警務隊、調査隊であり、初代の駐屯地司令には、第二特科連隊長を兼ねて、鴨川勝・一等陸佐が着任した。
 昭和三十年代は、部隊の新編や移駐が続いた。三十一年、第四特科群の本部が新編、多田弾薬支処が島松から移駐、三十三年、第三〇八地区施設隊が旭川から移駐、また、三十六年には現在の募集事務所となる旭川地方連絡部上富良野分駐所が設置された。昭和三十七年は大きな変革の年となった。第二対戦車隊の新編に始まり、第二特科連隊が旭川へ移駐、代わって第四特科群の主力部隊(一〇四・一一七・一二〇の各特科大隊)が東千歳から移駐した他、第三一五武器野整備隊(現在の第三〇四武器野整備中隊)が島松から移駐するなどした。また、この年は十勝岳の大噴火や台風災害の派遣など慌ただしい年でもあった。部隊の変遷が続く中、昭和三十四年に会員二二〇名をもって自衛隊父兄会が誕生、翌三十五年には、富良野地方自衛隊協力会が設立されるなど、駐屯地に対する協力体制が確立されていくのもこの時期である。
 昭和四十年以降も、駐屯地の変遷は続く。四十六年、第一〇二装甲輸送隊が新編(五十六年廃編)、五十二年には、多田弾薬支処が分屯地として開庁、五十九年には、第三〇一多連装ロケット中隊が新編(平成七年廃編)するなどした。また、六十三年に廃編となった第三〇八地区施設隊は、新編以来三十年間で、美瑛町二十八件、上富良野町二十件など合計一三七件の土木工事などを行い、地域に貢献した。
 平成を迎えると、自衛隊の任務も多様化し、海外での活動(カンボジアPKO・ルワンダ難民救援隊等)に駐屯地からも隊員を派遣するようになった。一方平成六年には、第三地対艦ミサイル連隊が新編、翌七年は、師団の近代化に伴う改編により、第二戦車大隊と第三一六戦車中隊(新編は平成三年)も廃編となり、第二戦車連隊が新編された。この年、駐屯地は開庁四十年の節目を迎えたが、二個連隊と一個群が所在する、道内でも有数の駐屯地へと成長を遂げた。
 平成九年、上富良野町開基百年、約半世紀を町の歴史と共存して来た駐屯地は、地域とのより一層の共栄を図るとともに、防衛上の重要拠点として、新たな歴史を刻んでいく。

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子