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第四章 個人編 女性の職業

華道・茶道と共に

田中 喜代子さん  七十三歳(栄町)

   華道・茶道との出合い

 私は生まれも育ちも上富良野という生粋の上富良野っ子でありながら、振り返ってみますと自分の歴史は、ほとんどが茶道・華道に明け暮れていたように思います。
 昭和十六年(一九四一年)より美唄市西宝寺の住職である間島慈良先生に師事し華道池坊を学びました。また御令室、間島宗貞先生からは茶道表千家を教わり、いずれも師範の資格を得ることができて、七、八人にお茶お花の自宅指導を始めました。
 戦時中は「働け、働け」「贅沢は敵だ」と、国民全体が質素、倹約、家の仕事が第一という戦事一色の時代で、お正月、運動会、お祭りなどが唯一の楽しみでした。
 終戦後における社会の混乱期も二十三年頃より徐々に治まり、農家の人々も庭の片隅に花壇を造り始めました。きれいに咲いたいろいろな花を部屋に飾ることが出来るようになり、時代に合うかのごとく私の稽古場も次第に増えてきました。

   華道出張指導のはじまり

 昭和二十四年から、江幌小学校長・渡辺先生の亡くなられたご子息の未亡人である智恵子様が冬期間、和洋裁を自宅で教えられていて、その生徒さん達に華道を教えてはしいと懇願され、これを承諾して、和服にモンペ、角巻、長靴という仕度で雪道を二時間ほど掛かりました。これが華道の出張指導のはじまりでした。近くにある柳、ポプラの枝で基本練習を幾度もしましたことを、今も懐しく思い出されます。
 二十五年に、里仁の長谷川愛子先生が洋裁所を開設されたときも、冬期間のみでしだが、そこでも指導しました。江幌と同じく、稽古には皆さん大変熱心で真剣に勉強されていました。二十六年三月における里仁小学校の卒業式と、翌二十七年三月、江幌小学校の卒業式には花展を行いました。
 その後、各地区の女子青年団の要望により出張指導を始めました。農繁期で家の仕事に差し支えない時間帯にとの希望で、三十二年から三十七年までは七月から九月までの三カ月間、早朝の地区は四時半から、日暮れの地区は七時からと稽古に励みました。道路は小石があちこちに点在する凸凹道で、このような道路は「ソロバン道路」と名が付き、自転車で通うのは大変な苦労でしたが、これも往時を偲ぶ懐かしい思い出です。
 江花女子青年団は江花小学校の教室での指導でしたが、朝四時半から六時まで、全員が一度も遅刻することはありませんでした。校長の菊池政美先生は稽古のある度に職員室で迎えて下さり、先生には、あらゆる点で教えられることが多くありました。
 三十一年、三十二年は公民館で、朝五時半から七時まで華道指導をしました。各女子青年団が一カ所に集合しての稽古です。
 昭和三十五年 九月 旭野部落祭典花展−旭野教室
   三十六年 六月 江花運動会に花展−江花教室
   三十六年 九月 日の出部落祭典花展−集会所
   三十七年十一月 東中文化祭花展−集会所
 あるとき、HBCラジオで稽古の実況放送をすることになりました。係の人に、花鋏で花材を切る「カチン・カチン」という音を出してほしいと言われ、生徒達は頭の中で花形を考えながらも、手許は「カチン・カチン」の音をたてなければならず、大変な目に会ったこともありました。

   花展会場

 小学校の教室は日中はストーブの暖房がありますが、夜間は火の気がなく、寒さに弱い花材を新聞紙で形が崩れないようにと一鉢ごとに囲ったり、一花一花をティッシュペーパーで包み、夜は花器の水が凍るので生け込みが終ると水を抜き、朝になると改めてストーブを焚いてから花器の水張りをしたことなど、今でも目に浮んできます。
池坊全道展、出瓶参加作品(平成2年5月・札幌市)
 公民館は、昔は窓が二重でなく、ときによっては隙間風が吹き込み、床は所によって歩くとガタビシと音が立ち、花を置く台の机は水平でなく、脚の下に物を入れて安定させなければならないなど、現在からは想像も付かない時代でした。
 昭和三十七年十月から四十一年三月までは旭川市へ転居したために女子青年団の指導を中止しました。
 社中としての最初の花展は昭和二十四年八月でした。上富良野神社祭典に商店の一隅で披露した花展です。二十六年は文化の日に協賛花展を上富良野小学校の教室で行っております。以後こんにちまで、会場は変わりましたが毎年、町の文化祭に参加しつつ花展を続けております。

   茶道指導

 茶道は昭和二十六年、東中女子青年団より礼儀作法の一環にとの要望があり、その後各地区の女子青年団に招かれました。里仁、江花、富原は昼間、集会場を使用し、東中、日の出は夜間に、集会所や公会堂で稽古をしたものでした。
 社中では、昭和二十八年ころと思いますが、文化の日の茶会を、上富良野小学校の教室に、畳を敷いて八畳間をつくり、紅白の幕を張って行いました。教室の片隅には石炭ストーブが赤々と燃えていましたが、茶席の所はとても寒く、その中でお客様に一服のお茶を差し上げ、美味しいと喜ばれたときは、社中一同胸が膨らむ思いでした。
 江花小学校校庭で桜の花びらを受けながらの野点[のだて]、雄大な十勝岳を望みながら役場の裏庭で、姉妹都市カムローズ市の皆様をお迎えして紺碧[こんペき]の空の下での野点、また文化祭の茶席の呈茶など、思い出果てることなく次々と、走馬灯のごとく浮んできます。
 苦しいことも、楽しいことも、すべて良い思い出となり、今日の私が生かされているのも、つくづく郷土上富良野町と皆様のお蔭と深く感じております。
 これからも残す歳月を茶道の「和敬静寂の精神」にのっとり、微力ではありますが、いくらかでも郷土の皆様にお役に立てればと思いながら、稽古に励んで行く所存です。

掲載省略:写真〜平成元年1月、社中初釜(公民館)

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子