第四章 個人編 女性の職業
第四章 個人編 女性の職業 序文
今でこそ、女性が職業をもつのは当たりまえの事として認識され評価もされて、男性と同等の立場で多岐にわたる職場に進出しているが、昭和の初期頃までは家業が職業であり家庭が職場であった。その上、女性の仕事としての炊事、洗濯、針仕事、更に出産、育児と過酷なまでの「労働」だったのである。
また奉公や出かせぎなど「主人に仕える」「家を助ける」と言った飽くまでも主従関係の中で、女性はいつも犠牲的立場に甘んじてきたのも、また事実である。
平成七年発行の『道南の女たち』(道南女性史研究会編著)の中には、大正二年五月一三日−二二日の函館新聞に連載された「女の職業」に紹介された職業・産婆七八人、看護婦一二〇人、電話交換手二〇余人、事務員・店員・髪結二七〇人、女五十集屋[いさばや](魚売り)二〇〇余人、女出面・胴突き女・女工(網工場・綿打工場・マッチ工場など)女中奉公・飲食店の女中・カフェーの女給・芸娼姑・女教員一二九人と書かれており、道南地方の開拓が早くから進んでいたことが伺えるが、この頃には上富良野でも、商工業者はかなりの数になっていたものの女性の職業に関する記録は殆どなく、ただ上富良野町史年表(平成八年二月二〇日現在調査済)を見ると、明治四二年に島田医院・大正二年に飛沢病院開業とあるので当然看護婦が在職していたと思われる。しかし古老の話によると昭和七、八年頃には僅かに小学校教員と役場吏員がいた程度であったと言われる。
女性の職場進出がいっきに進んだのは第二次世界大戦中の昭和一八、九年頃で、多くの男性が召集された後に動員されたもので、軍需工場をはじめ国鉄の駅員や郵便の集配人に至るまで、男性一色だった職場も女性がとってかわった。
戦後の社会情勢の変革に伴い女性の職場に対するニーズも多様化し、制度化によって免許や資格を必要とするようにもなってきたが、同時に職業の選択が自由になり経済的自立への道も開けたのである。
第四章個人編では、女性の職業をテーマに明治・大正・昭和・平成と複雑な時代背景の中で、生活・文化・教養などの分野を通して、その先駆者となられた方、天職として全うされた方、今なお営々としてその道を歩み続けておられる方一六人の歴程や、それぞれの思いを、聞き書きと寄稿によって収録した。
尚、上富良野の特色でもある「婦人自衛官」については、その誕生と展望、更に昭和三〇年に駐屯以来、約半世紀に亘って町の歴史と共存し、地域との共栄を図りながら、町の発展の一翼を担って来た上富良野駐屯地の沿革の概要を附した。
厳しい修業に耐え試練を乗り越えながら、なお一筋の道を進み続けることは容易でなかった事が、その言葉のはしはしに伺い知ることができる。
今や女性は、国土防衛の任を担い、宇宙にも飛ぶ時代となって、今後どのような道が開けるのか未来への期待はふくらむが、先人が身ひとつ腕一本で地道に築き上げて来た歴史の上に今日があることを忘れる事はできない。
その道を極めた人々の姿は、気高く、美しく、凛しい−。
かみふらの 女性史 平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長 倉本 千代子