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第三章 団体編 女性の団体活動

連合婦人会

六平 美子

 上富良野町連合婦人会は昭和三十二年七月一日の創立で、それまでは市街地の中央婦人会と部落単位(農協系)の十二団体が個々の活動をしていたが、これらの単位婦人会を統一し、上川管内婦人団体協議会から流れて来る情報や指導事項に基いて婦人会を指導するため、上富良野町教育委員会の計らいによって実現したものである。
 当時、単位婦人会の活動の拠点は各地域の学校を中心としており、学校長夫人がリーダーシップをとるケースが多く、連合婦人会も初代会長は上富良野小学校長夫人の伊多波コトさんであった。
 創立当時の加盟団体は中央・島津・東中・草分・日の出・江花・江幌(静修と統合)富原・里仁の九団体であった。四十年に旭野と日新、四十二年には清富が加盟して十二団体となったが、後に旭野・日新が脱会して十団体となり五十五年度まで継続した。
 活動として記録に残されているものでは、施設慰問などの奉仕活動が主で、旭川静和園(老人ホーム)には三十二年以降十年間続けており、四十一年九月に北海道老人クラブ連合会より表彰を受けている。
 社会の進歩と共に婦人会活動も多様化し、昭和三十八年三月上富良野日赤奉仕団が結成され、団員八百二十名をもって委員長に五代会長宮野静江さんが就任した。同年十一月婦人防火クラブが発足し、同じく宮野静江さんが会長となり、当時の活動として消火器の使用法講習会やストーブ、煙筒の安全点検などを行っていたが、五十二年の第一回婦人防火クラブ道北大会を始め地区大会等を本町で開催し、また全国レベルの大会や行事に参加するなど、その成果は高く評価された。
 四十年頃から行政への協力事業が多くなり、招魂祭、敬老会、歳末たすけ合い、共同募金、ピンクの羽根募金、働く少年激励会、選挙の棄権防止パレード、消費者活動、道民スポーツ大会等があり、中でも敬老会は上富良野小学校体育館で各単位会からの出演で演芸をしたり、また歳末助け合いは各家庭を回り衣類や日用品、食料品などを出して貰い、それを集めて区分し対象家庭に配分するという大変な作業であった。
 四十三年から交通安全への参加が始まり、五十年には交通安全運動指定団体として全道研修会に参加し「交通安全と婦人活動は身近な茶の間から」を合言葉に、以降毎年、交通安全キャンペーンやパレード等を行った。更にこの頃からは青少年健全育成や防犯運動にも参加協力した。
 四十七年から自衛隊との交流が始まり、営内での運動会や盆踊りに参加し、雪まつりの雪像作りに対する慰問、山菜とり、演習場の見学や千歳、旭川協力会との交流を行った。
 その他の事業として昭和三十二年の公衆衛生夏季大学。三十三年、北海道博覧会見学。三十四年、伊勢湾台風助け合い運動。四十年、舞踊教室(年十回)・洗剤講習会。四十一年、「おしらせ」発行(第三号まで)。四十二年、町議会傍聴。四十三年、正月用料理講習・一日親の会・公民館設立促進請願。四十四年、連合婦人会スポーツ大会。四十六年、議員と語る会。四十九年、ボランティア沿線大会・友愛セール・テーブルマナー。五十年、町長・町議立候補者との話し合い・町内公共施設見学。五十一年、酒田市大火見舞(衣類を送る)が上げられるが、四十五年から四十七年に渡って二千七百枚の雑巾を縫い学校等の公共施設に寄贈している。

掲載省略:写真〜明るい選挙推進パレードで先頭に立つ連合婦人会(昭和46年6月参院選挙)

 この様に、現在個々の団体が行っている事業の殆どを連合婦人会が行っていた。
 研修事業としては町内研修会を始め富良野沿線ブロック、上川管内、北海道大会、国内研修(富良野広域圏事業)、海外研修(生涯学習)等に参加したが、五十年九月十一日から十月十日までの三十日間の長期に渡る海外研修(道民の船)に婦人では初めて成田久子さんが参加した。
 最大の事業として、昭和三十七年七月二十七、八の両日に開催された「上川管内連合婦人協議会創立十周年記念大会」があげられる。上富良野小学校を会場に管内各町村から二千四十七人が参集したが、町をあげて準備から運営に当たり、宿泊は自衛隊営内に八百人、上富良野小学校に五百人と分宿し、近隣町村は日帰りをしたり親戚に泊るなどしたが、寝具は会員が持ち寄ったり一般家庭から借用し、町のダンプカーで集めたり返しに回るといった大がかりなものであった。ちなみに本町婦人の参加は七百人余りで、時の会長は四代畠山京子さんであった。
 五十二年四月、創立二十周年を迎え記念式典を行い、会の発展に尽くされた諸先輩の業績を讃え感謝の意を捧げて表彰し、一層の発展を祈念した。同年五月町の開基八十周年にあたり、連合婦人会二十周年記念事業として、ライオンズクラブとの協賛で、町が四十九年から造成していた島津公園に桜の苗木三百本を植樹したが、現在は四季を通して町民の憩の場となり春は観桜で賑わっている。
 時代も高度成長期へと移り、社会情勢の変化や経済の変動は私達の日常生活にも影響を及ぼし、その中で婦人に求められる社会のニーズも新しく、また大きいものとなった。昭和五十年に「国際婦人年」が制定され経済的、社会的、文化的、国際的にも更には地域発展にも積極的に参加するなど、あらゆる分野に婦人の柔軟性に富んだ英知が必要とされ、責任、役割、地位といったものが見直されるようになって来た。
 そうした状況の中で連合婦人会も、その組織や活動内容の見直しを余儀なくされ、地域主体の活動が必要として連合脱会を希望する単位団体が出て来た事から、一時代を担って来た連合婦人会としての役割を成し遂げたと言う反省と、これからの時代に即応した新しい組織作りが必要との共通認識の上に立ち、昭和五十六年三月「解散総会」をもってその歴史を閉じたのである。

掲載省略:写真〜連合婦人会役員新年会(昭和56年1月17日)
    歴代会長
 伊多波 コ ト 昭和三二年度
 北 川 玉 子 昭和三三年度
 倉 島 君 緒 昭和三四・三五年度
 畠 山 京 子 昭和三六年度
 宮 野 静 江 昭和三七〜三九年度
 細 川 ふじ子 昭和四〇年度
 赤 川 ト イ 昭和四一・四二年度
 藤 原 和 子 昭和四三〜四五年度
 加 藤 輝 子 昭和四六・四七年度
 増 島 リリー 昭和四八〜五一年度
 六 平 美 子 昭和五二〜五五年度

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子