第三章 団体編 女性の団体活動
母 子 会
会長 久我 みち子
昭和三十年五月 戦後の混乱の中で本道の戦死者の家族、母子家庭が社会問題となり、北海道の政策の一環として、各地に会の結成の呼びかけに梅田幸子先生が各地を訪問された。当町の遺族の方々の生活も苦しく、又精神的不安感から「母子会」の必要性を感じ全国、全道組織と連携を図りながら生活の安定、社会的地位の向上を目指し、児童の健全育成を願い相互扶助の基本理念に基づき結成されたのであった。
当時は一日父親会、生花講習会、研修会、月例会を実施し、手弁当で漬物を持参して遠隔地も厭[いやが]らず参加したものである。
初代会長 北村フジエ 副会長 植田スミ
二代会長 植田スミ 副会長 若佐トミ、佐藤八千代(兼会計)地区役員十八名、会員七十八名(会員の年齢、三十歳〜四十五歳)
で発足した。
全道組織のため、統一物資を扱う頒布事業(ハンカチ、国旗、上被)を売ることから「物売りの会」の汚名を受けた。それからは会費を百円徴収する事にし、上川支庁の対策費の一部貸付制度を活用し、千円を限度に借り入れ母子家庭の援護を図った。
昭和三十二年 学校の農繁休業の実施の中で稲刈り、芋拾い作業等して母子家庭を応援し相互扶助の精神を培った。又町の招魂祭、祭典の昼食・赤飯作り(六百食〜八百食)を請負い、四十二年まで継続し資金造成を図った。更に頒布事業も継続し「母子金庫」を創設、児童扶養手当の要求をした。
三十四年 母子住宅建設を立案、行政に要望し「検討する」の回答を得るが共産党≠フ汚名を受ける。児童扶養手当支給要望が実現する。
三十六年 懸案の母子住宅、二棟四戸建設、頒布事業並びに貸付事業の推進継続。
三十八年 母子住宅二棟四戸建設、四十一年に最終年度で一棟増加を要望し、三棟四戸建設決定となり入居家族から感謝された。
四十三年 植田会長の転勤に伴い、三代会長として若佐トミ、副会長山川一二三、松下よう(兼会計)頒布事業と貸付事業を継続する。四十六年、元会計の佐藤八千代さん死去。
五十一年 植田元会長が上富良野に戻られて、四代会長に就任し、六十二年まで上川管内連合会長、北海道母子寡婦福祉連合会理事、研修部長、調査部長、編集委員等を歴任する。当町の母子会運営と相俟って奨学金給付事業を有効に活用し(年間六万円で無償)六十三年まで総額百四十四万円(二十四人)の給付を受ける。
五十二年 当町の母子家庭の実態調査の実施、寡婦対策の重要性を考え、管内大会に提言、署名運動の展開(寡婦の公住入居)同時に国会議員に陳情し、全道から全国へと拡大、素案を作成して東北、北海道大会に提言し共鳴を得て、更に署名協力を全国へと拡大し厚生大臣に陳情、寡婦福祉の礎石[そせき]となる。また灯油の値上がりに伴って、道母連の特別生活資金の活用で管内及び当町の母子家庭の援護を図る。
五十五年 会創立二十五周年を翌年に控え、資金造りを目的に岸千恵子ショー≠二年連続開催し、その収益で記念式典を実施、創立以来役員として活躍された方々を表彰し記念品を贈り、また記念誌を発刊して祝賀会を挙行した。
五十六年 税制度の改正で母子及び寡婦福祉法が成立、寡婦も結婚資金、住宅資金の貸付けと公住入居が認められて会員共々よろこんだのである。
五十七年 就労対策と雇用促進を考え、介護人派遣制度を活用すると共に、日の出山公園の活用を申請し臨時売店(一カ月位)を開設、資金造成と就労の場を確保(平成二年まで)した。
五十八年 運営資金確保を目的に老人身障者センター内にジュース自販機一台設置、町の補助金の申請をする。
六十年 当町にて上川管内母子寡婦福祉大会を開催した。和寒高等学校校長梅沢京子氏の講演、また参加者(三百名位)の皆さんと日の出公園のラベンダーを見学したのである。
六十二年 社会教育総合センター落成を機に、運営資金確保の目的でジュース自販機二台設置の要望をし認可される。十月四日、会計、松下ようさん死去される。
(以上、植田前会長記)
六十三年 五代会長に久我みち子就任。
曾[かつ]ては戦争未亡人、夫に先立たれた女性が会員であったが、時代の流れとともに離別の女性が多くなり「母子会」を見る社会の目も違って来た。ある研修会で「最近は離婚して母子家庭になり、それは我侭でもあり云々……」の先輩からの一言に悩んだが死別、離別に関係なく女性が一人で子育てをする苦労は同じものと思っている。
私が欠席した総会でいきなり会長となり、何をどうすれば良いのか解らず胃の痛くなる思いをした事もあったが、会員と共に話し合い自分たちの母子会≠テくりに取り組む事にし、同じ境遇の者だけが理解し合える「楽しさ」「苦しさ」を心おきなく語り合える場、親睦を深める場が私たちの「母子会」なのである。
運営費は三台のジュース自販機の収益、町と社会福祉協議会より助成金をいただき充分活動をさせてもらっており、母子金庫、特別生活資金等も活用し、道母連の奨学金制度も毎年受けている。
地域とのつながりでは、町の福祉事業への参加、表彰者の推薦、母の日の北海道表彰を受けた仲間がいる事も会員のよろこびでもある。
現在、母子家庭十七名と寡婦家庭十二名の会員である。今後は若い会員の参加を呼びかけ、子育ての悩み≠ネどを語り合える場を作る事を考えながら今年度(平成八年)も六月三十日、母と子のつどい(当麻ヘルシーシャトー、比布いちご狩り)八月十一日、触れ合い広場参加、九月、社会福祉協議会と共催で親と子のふれあい社会見学、三月、母子父子家庭の中学校卒業生へ図書券贈呈、そして一人でも多くの会員が参加して頂くための総会の場所の考慮等々を予定しているところである。
今年は発足から満四十年になるので、会員の声を一冊の小さな冊子にまとめてみようと思っている。 (平成九年三月「母のこえ」 発刊)
掲載省略:写真〜平成6年度 母と子のつどい「砂川・子どもの国」で
かみふらの 女性史 平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長 倉本 千代子