第三章 団体編 女性の団体活動
更生保護婦人会
会長 高橋 よしの
犯罪や非行を防止し、或いは犯罪や非行を犯した人を、社会の健全な一員として立ち直らせる為の仕事として、国の「更生保護事業」と云うものがある。しかし、此の仕事が十分な効果を挙げる為には、その社会に住む人々の積極的な協力が必要である。
更生保護婦人会は、婦人として、母親としての立場から此の更生保護事業に進んで協力し、犯罪や非行のない明るい社会を実現しようとする婦人ボランティアの団体で、保護観察を受けている人を、一日も早く自立更生させる為の指導や援護を行う保護司の活動に協力し、物心両面に亘って援助の手を差しのべている。多くのボランティア活動団体の中で犯罪のない明るい社会づくりを活動目標にしている団体は「更生保護婦人会」のみである。
戦後この会が組織されたのが昭和二十四年、以来約半世紀、この様な崇高な精神の婦人団体の存在も知らずにいた。
平成二年三月、元上富良野町保護司分区長の千葉誠氏の提案で、元町民課長野尻氏、保護司、女性民生児童委員が二回に亘り準備会をもち話し合った。会員の募集は町より発行される回覧文書、広報かみふらの、防災無線で呼び掛けて、更生保護制度を理解していただき、四月十一日、会員二十六名をもって「上富良野更生保護婦人会」が発足した。初代会長に私が推薦されて今日に至っている。会員は一般婦人、女性民生児童委員、女性保護司が一体となって更生保護の精神に基づき第一歩を踏み出した。
運営費は、会員会費、一般家庭や各会社より賛助会費を戴き、併せて会員による不用品のリサイクル市の益金を充当し、保護司会、社会福祉協議会から助成金を戴き漸く会の体制も整った。
上富良野更生保護婦人会が発足する以前、すでに近隣町村では二十年、三十年の歴史が有る事を知り遅れ馳せ乍ら各地で催される研修会に出席し、会員の更生保護の意識高揚をはかると共に、教護施設に赴き、直接矯正指導しておられる専門官に御苦労、御意見を伺った。平成四年からは毎年保護司会と更生保護婦人会が合同で研修を行っている。
旭川保護観察所・旭川保護会・帯広刑務所・帯広少年院・社会法人遠軽家庭学校・生田原精神薄弱者更生施設・少年鑑別所・網走刑務所・以上が平成二年から七年までの研修地である。
参加人員は、毎年約二十名程度で、社会情勢の変化に密接に関連する事態を常に把握し対処する事こそ明るい社会を作る第一歩であると感じ、今更乍らこの会の持つ意義を重く感じている。
掲載省略:写真〜月形方面研修旅行(平成5年7月13日)
「社会を明るくする運動」の「街頭広報活動」として、七月一日の招魂祭音楽パレードにも参加し、また地域住民の方々や学校訪問等をしている。
会員は、平成八年三月現在三十五名、まだまだ弱小な会であるが、地道にしっかり前進して参りたいと思う。
旭川地方更生保護婦人連盟(道北地区)には十六番目の加入となり、総数約三千名である。
第十八回、旭川地方更生保護婦人連盟大会を平成七年七月十二日、深川市で開催され、その席上旭川保護観察所長より三名(若佐マサ子・中尾スエ子・田中喜代子)が感謝状を授与された。
第十九回は八年七月十六日、富良野市で開催され、その席上でも旭川保護観察所長より三名(菅野千江子・松浦正子・佐々木幸子)が感謝状を授与された。
この様に喜びもあり、また人知れず流す涙もあるが、役員・会員の皆様に支えられながらこの会の発展を祈りつつ只今基礎作りに頑張っている所である。
かみふらの 女性史 平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長 倉本 千代子