第三章 団体編 女性の団体活動
婦人スポーツ団体協議会
会長 米田 スミ子
婦人スポーツ団体協議会は、昭和五十三年四月に結成された。
これより先の昭和四十九年、当時全国的に社会体育の振興が強く求められはじめ、スポーツによる心身、健康の保持増進、スポーツの生活化と言うことばが使われており、上富良野町でも「健康で明るい生活を築くスポーツの振興」を旗印に、教育委員会に指導主事、渡部芳男先生(平成八年八月死去)を迎え、他町村に先がけ各種のスポーツ教室を開設した。
その中で婦人スポーツ教室が開かれ多くの家庭婦人が参加し、これをきっかけに婦人の、健康づくりに対する関心とスポーツへの意欲が高まり、婦人の主体的な取り組みによってサークル化が進み「ミセス・スポーツクラブ」「サンフラワークラブ」「睦スポーツサークル」そして「フライデーテニスクラブ」が相ついで誕生し、既にママさんバレーチームとして活躍していた「さつきクラブ」を含め五団体百二十一名に達した。
おりから、志を同じくする者が相集い結び合うための連絡協議会の結成が全道的にも叫ばれはじめており、上富良野町では、いち早くその実現を図る事になるが、その基礎づくりをして下さった渡部先生が転任され、新しく赴任された指導主事の栗栖省吾先生のご尽力と教育委員会のご指導、また初代会長倉本千代子さんのご努力で「婦人スポーツ団体相互の連携と親睦を図り、各団体の育成発展に努める」事を目的に発足したのである。
昭和五十四年、ママさんバレーの「ラベンダー」「ママさん卓球」の加盟により七団体となり、年中行事としての「スポーツ活動のしおり」作成配布、交流会、リーダー研修会を始め各種行事への支援(ウインターフェスティバル・町民運動会)参加(自衛隊開庁記念運動会・歩け歩け大行進・町議会議員と語る会・富良野地区婦人リーダー研修会)等を行って来た。
昭和五十八年には「サンフラワークラブ」がファミリースポーツサークルに転向し脱会、次いで昭和六十一年度の総会では会長の選任が難行し大きな壁にぶつかったが、各サークル、ローテーションで役員を担当する事とし、更なる進展を目指すことになった。
六十三年五月、協議会結成十周年を迎えて、功労者三十七名の表彰を行い記念誌を発行し、記念式典を盛大に催した。この記念行事は、私達にとって素晴らしい思い出として深く心に残っている。
掲載省略:写真〜結成10周年記念式典を行う。(昭和63年5月21日)
平成元年十二月、上富良野町婦人団体連絡協議会の設立により加盟、他団体との連携を図りながら現在に至っている。
私達の人生は生涯、活力に満ちた健康な生活が大きな願いであり、町民皆スポーツ、また生涯スポーツが強く求められているところである。スポーツを通しての仲間づくり、地域づくり、婦人スポーツ団体の組織づくりと努力して来たが、最近、婦人のスポーツ人口は増えているものの団体に加入するサークルがあまりなく、苦難な時期を迎えている。
ここ五年程の間に、共に活動して来た「睦サークル」「ミセスサークル」「フライデーテニスクラブ」が相次いで退会し、一時は、どうなる事かと苦慮したが、役員一同新しいサークルの加入促進に努力した結果、ミニバレーの「アイリス」が加盟され、平成八年度は四団体、七十名で活動している。
そして来年は二十周年を迎える事になるが、これからも「とわに若く、とわに美しく、とわに健やかに」をモットーに頑張って行きたいと願っているところである。
歴代会長 倉 本 千代子 昭和五三年度 千 葉 順 子 昭和五四年度 太 田 明 代 昭和五五年度 久 我 みち子 昭和五六・七・八・六二年度 山 本 キミ子 昭和五九・六〇年度 平 山 和 子 昭和六一・平成四年度 安 川 美音子 昭和六三・平成五年度 松 永 米 子 平成元・六年度 米 田 スミ子 平成二・七・八年度 野 別 繁 子 平成三年度
かみふらの 女性史 平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長 倉本 千代子