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第三章 団体編 女性の団体活動

商工会婦人部

部長  小沢 治子

 当商工会婦人部は、昭和四十六年六月に結成。その頃は各町村で婦人部が結成されている時期でもあった。青年部はその五年前に結成されており、我町の商工会にもぜひ婦人部を作りましょうと、新納かず子さんを始め、若佐マサ子さん、温泉光恵さん達が先頭に立たれ、当時の商工会事務局長であった故北川光治さんの指導のもとに、一人一人に声を掛け有志を集め、旧信金の二階で結成式をあげた。
 活動の目標は高く、「商工業に従事する婦人の使命を自覚し、教養と地位の向上を計り、地域商工業の発展を期する」また「婦人の特性を活かし、商工会活動に積極的に協力し、新しい町づくりの実現を期する」と言う目標に向かって進み始めた。
 初代の部長は、新納かず子さん(ふらぬい食堂の奥さん)が就任し、話も上手で部員を、ぐんぐんと積極的に引っぼって行かれた。当時役員になられた方々は、商店や事業所を回って歩き百四十名位の部員を集められ、年代も若く、平均年齢も四十代位だった様である。
 活動も実に活発で「花いっぱい運動」として、プランターに花の苗を植えて、公共施設を始め各町内のお店の前にも置き、花いっぱいの商店街であった。その後、歩くのに邪魔とか、車がプランターにぶつかるとの苦情が出て、商店の前には置かなくなり、現在のように公共施設のみとなった。

掲載省略:写真〜事業の一つ、花いっぱい運動の植栽(昭和50年3月)

 「お花見」や「ラベンダー祭り」では売店を出してジュースやアイスクリーム、焼き鳥、匂い袋等も売って収益を挙げていたが、今は町内の業者に売店を譲り、婦人部はお手伝いのみの活動をしている。その頃も親睦事業は活発で、新年会や部員研修旅行は商店の奥様達の唯一の楽しみだったようである。
 初代新納部長は、任期中に病に倒れられ、十周年の記念式典には、副部長の若佐さん、温泉さん達が盛大に行い、その式典に足を引きずりながら出席して下さった新納部長のお姿が、今でも私の目に焼きついている。
 二代目の部長は若佐マサ子さん、三代目の部長は温泉光恵さんで、温泉部長の時に、二十周年の記念式典を、新築した現在のセントラルプラザの集会室で、式典、記念講演、祝賀会と盛大に行なった。この頃はサークル活動も盛んで「ダンス」や「お茶」「ヨガ」などもあり、また洋食マナーや和食マナー等もあった。
 温泉部長は、二十周年の記念式典を終わらせて、四代目の私(小沢治子)にバトンタッチされた。私には大変重荷であったが、幸い、副部長を始め役員の皆さんが、私の荷を背負って下さったお陰で、今日まで歩んで来た。今の婦人部は最初の目標より少し離れているかもしれないが「部員の和を大切に」「事業は楽しく」をモットーに活動してきている。
 平成七年に、結成二十五周年を迎える事となり式典や祝賀会等も盛大にとり行い、活動は青年部との合同事業の美化運動、ビールの集い、講演会、ネットワーク作り、そして婦人部単独事業も、部員研修旅行や役員研修、新年会、駅周辺の草取り、ラベンダーの手入れ、匂い袋作り、新一年生の交通安全鈴作り、他町村婦人部との交流会、そして町のイベントや商工会のイベントのお手伝いと、フル回転をしている。
 昨年はJRさんより長年の駅周辺の美化運動に対して感謝状も頂いた。また二十五周年の記念事業の一つとして、積丹町より講師をお招きして、教えて頂いた「よさこいソーラン」踊りは「かみふソーラン」踊りとして、サークル事業に取り入れ現在各イベントに出演中である。
 四半世紀を終えた我が商工会婦人部は、これからも、商店街や町の活性化の為に、微力ではあるが、女性の感性を持って歩んで行きたいと思っている。
 そして商工会婦人部がこの先三十年、四十年と続きますように−。

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子