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第三章 団体編 女性の団体活動

第三章 団体編 女性の団体活動 序 文

 婦人団体として最初に創立されたのが「愛国婦人会上富良野支部」で、明治三四年二月に全国組織が創立された後であるが、その時期は定かでない。愛国婦人会は主として公職者、有志有力者の夫人が多く、会費が高かったので一般には普及せず、皇室の行幸、行啓等には前列に出る事ができ、軍隊の視察、見学には優遇を受けていた。
 昭和一〇年六月二日、満州事変の影響により国家総動員の立場から大日本国防婦人会が創立され、下部における町村の組織として「国防婦人会上富良野分会」が設立され、愛国婦人会上富良野支部との協力のもとに軍人援護、遺家族慰安、生活改善、慈善事業その他の国民運動に全力をあげた。国防婦人会は国家非常時というので強力に推進されたので全戸加入の形となり、戦争に対する婦人の協力態勢を作り上げている。
 昭和一六年一二月八日、大東亜戦争勃発によって一元的に統一されることになり、中央の要請に応じて昭和一七年七月四日「大日本婦人会上富良野支部」として発足した。会員二一一〇余人で支部長は村長夫人の金子シナ、副支部長山本忍・西野目ユキであった。しかしこの合併も、すでに戦争末期であったため会の活動も思うにまかせず、従って大きな印象を残す事なく、敗戦によって総べての夫人団体は自然消滅の形となったのである。
 戦前、戦後を通して婦人会は各地区別に構成されており、戦前は清富、日新、草分、里仁、江幌、静修、江花、日の出、島津、旭野、富原、東中の団体が、小学校の校長夫人が中心となり主に国防婦人会の活動をしていた。戦後は統一的ではなく個性のある婦人会が生まれるが、それぞれの地域婦人の教養を高め、家庭的、社会的地位の向上や、生活改善などを目的として設立され、料理講習、敬老会、学校行事への参加、慰安旅行、資金造成事業、婦人講座等を行っていた。戦後新しく設立されたのが中央婦人会で昭和二五年八月一〇日の発足である。
 昭和二九年八月二日、部落婦人会をそのまま農協婦人部とすることになり、三二名による準備委員会を作り各支部をまとめ九月一一日に上富良野農協婦人部が創立された。
 昭和三二年七月一日、町内にあった各単位婦人会を統合し、上富良野町連合婦人会が創立されたが昭和五六年三月に解散している。その後、各婦人団体は個々の活動を続けていたが「婦人団体相互の連携が必要」との声が出て、平成元年一二月一二日、上富良野町婦人団体連絡協議会の設立となった。
 第三章では現在、婦人団体連絡協議会に加盟している一〇団体と連合婦人会、更に戦前戦後の各地区婦人会の活動状況の概略と女子青年団について収録したが、他に住民会単位、文化、スポーツなどの分野で個々に活動している団体も多く存在している事は言うまでもない。
 婦人団体は、変転する時代の流れの中で、何時の時代にも大きな社会的役割を担いながら、その歴史を重ねてきたが、上富良野町婦人団体連絡協議会は平成九年四月、上富良野町女性連絡協議会と名称を改め、更なる発展をめざして力強く一歩を踏み出している。

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子