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第二章 激動編 女性の戦中・戦後

過ぎし日を顧みて

伊藤 カヲルさん  八十五歳(東中)

   転  換

 「歳月は人を待たず」といいますが、本当に月日の経つのは早いものです。振り返りますと、当地を第二の故郷としてお世話になりましてから、早くも六十有余年が過ぎようとしています。
 「故郷は遠きにありて思うもの」「佐渡をはなれて初めて知った生まれ故郷の美しさを」と色々な言葉がありますが、新潟県佐渡金井町は、私が生まれてから学生時代を過ごした懐かしいふるさとです。
 私は高野甚左エ門家の一男一女の長女として生を受け、少女時代はのんびりと裕福に育てられました。しかし、親の事業の失敗のため百八十度の転換となり昭和四年四月、両親と幼い弟と共に電灯も何も無い山の中、上富良野村東中地区西谷農場へ入植しました。今の斜線道路は立派な舗装道路ですが、当時は雪解けの、それはそれはひどい道でした。駅まで履いて来たものをタカジョウ(地下足袋)に履き替えて、良い処を選びながら泥道を歩いた記憶が今だに残っています。
 入植して二年目に父が亡くなり、当時小学生の弟と母との三人ではどうにもならず、鍬も鎌も持った事のない私でしたが、皆様のお世話になりながら母と頑張りました。

   戦時中の留守家庭

 昭和十七年、弟が、母を残して現役兵として旭川へ入隊、満州、沖縄と転戦の末に、六月二十一日沖縄にて戦死したとの公報を受け、その間幾多の皆様のお世話になりながら、当時の言葉で「銃後の守り」とでも言いましょうか、母一人で頑張って来ました。戦死の公報が入った後も、東中十二部落の方々には言葉につくせぬ御援助、御厚情をいただきました。亡き母も何時も感謝していました。
 気丈な母でしたので私達には涙一つ見せませんでしたが、弟が出征してからは毎日毎日、陰膳を供えて無事を祈っていました。公報が入った時は一人で夜な夜な枕をぬらし、本当につらかった事と思います。肉親とは馬鹿なもので、どこかの岩陰にでも生きていてくれればと願わずにはいられないものです。当時そんな事を口に出したら非国民と非難をあびたと思いますが……。

   私の銃後

 昭和十九年五月、今度は主人に召集令状で「横須賀海軍機関学校へ五月二十八日入隊せよ」との赤紙でした。それまでに水田の種蒔(その当時は実蒔[みまき]モ
ミを田に蒔く)を終らせなければと、主人共々一生懸命でしたが、入隊の日も切迫していましたので、現在、上富良野町農協・内村組合長のお母様で故内村クニエ様、東六線北十八号の故野原キミ様の助けを頂きながら、何とか入隊までに終ることが出来ました。この方々の有り難さは私の終生忘れる事のできない感謝の念でいっぱいです。
 当時は今と違い、履く靴も無く、早朝から冷たい田の中へ素足で入ったり、タコ足種蒔でした。私が身体が弱かったのと、仕事にも馴れないので何事も主人まかせ、水の取り入れ口さえもどうして良いやら分らない始末でした。老父母と幼い子供二人が私の肩にかかっておりましたので、朝三時に起きて田の水廻りをし、朝食の仕度後二人の子供を学校へ送り出し、また仕事と、朝に夕に星をいただきながらの日々でした。馴れない仕事のため田の見廻りが下手で、あちらの田に水を入れればこちらが乾くと言う具合で、泣きたくなる事も度々でしたが「銃後の守り」「銃後の守り」と良く言われましたので、これも私に与えられた運命の試練と思い、部落の皆様の助けを頂きながら頑張りました。只々、家を守ろうと言う気持ちで精一杯だったのです。
 昭和二十年四月五日、シンガポールにて主人死亡の公報が入りました。国策とはいいながらも、当時援農に来ていただいたのは、年端も行かないのに遠く親元を離れた札幌商業の方、函館商業の方などで、馴れぬ仕事に大変ご苦労いただき本当に有り難うございました。その後は岩崎久二雄様、今は故人となられました島田良友様の二人のお蔭で、山形、秋田方面から若人達を、秋の収穫が終わるまでの契約でお世話下さいましたので大変助かりました。

掲載省略:写真〜遺族会で旭川護国神社へ参拝、昭和63年6月5日(左端カヲルさん)

   婦人活動と共に

 子供の成長と共に私の身体も少しゆとりが出来ましたので、農協婦人部の仲間入りをさせて頂きました。そして東中で四年、本部で八年婦人部長を務めさせていただきました。これも一重に皆様の暖かいご支援ご協力があったからこそと感謝しています。
 また東中PTA、母子会、連合婦人会、明るい選挙推進協議会委員、貯蓄推進委員、民生児童委員等幾多の所に顔を出させていただきましたが、何時も皆様の暖かいお心遣いを頂きました事、今は只々、懐かしい思い出となりました。
 私も心にゆとりと豊かさを失わないで、これから幾許もない余生を送りたいと願っています。

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子