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第二章 激動編 女性の戦中・戦後

第二章 激動編 女性の戦中・戦後 序文

 今、語り継いでいきたい歴史がある。明治・大正・昭和・平成と、この百年の間に人の言葉は変わり、服装は変わり、そして生活も食べ物もすべてにおいて変わって来た。しかし、笑うこと、泣くこと、よろこぶことは百年と言う時を越えても決して変わることはない。
 その時代の背景を背負いながら、いつの時代にあっても底辺で支える重要な担い手として、苛酷な労働を強いられ、家を守り、子供を生み育てる生活過程があった。けれども生活習慣がかたくなまでに守られ、継承されている中で、割り切れない思いやその感情を、誰かに語るすべを知らずに暮して来たとも言える。
 波瀾万丈と一言で言い表わせないほどの長く辛い洗礼を受けながら、常に男性の影で受け皿役を引きうけて来た。時代を象徴する女性の生き方、今、その足跡を残さなければ歴史的にものを語ることの大切さが置き去りにされてしまうのではないだろうか。
 今回、第二章で聞きとり取材や寄稿をしてもらった中で自分の思い出を語ってくれた方々も、日露戦争、第一次、第二次世界大戦といった幾つもの戦争や、そして十勝岳爆発による泥流災害など、社会、政治の激変の中で運命が定めた人生を否応なく生きなければならなかった女性たちである。
 戦前、戦中と徴兵制度下の日本では、男性は赤紙一枚で出征を余儀なくされ、残された女性たちは計り知れない明日への不安と、ただ留守家庭を守ることが務めであると必死の毎日だった。けれどもこの戦争が日本の敗戦で終りを告げられて、上富良野にも戦死者の悲報が次々と知らされた。また終戦後もなお捕虜となって抑留され、消息も分からぬまま帰らぬ夫や子を待ちつづけると言う、つらく悲しい、正に「岸壁の母」を象徴する女性たちの姿があった。愛する者を引き裂き、そして奪ってしまった「戦争」は大きな傷跡を残し、誰の身の上にも覆いかぶさって来たのだった。
 時は流れても遠い過去として記憶の中で消え去って行くはど簡単なことではなかった。しかし、嵐のように渦巻く激動と混乱の時代を精一杯に生き抜いて来た人たち、そこには素朴で明るく自信に満ちた素敵な笑顔があった。この大地で風と土に染まった一人ひとりの哀歓を、その思いを、体験記としてここに収録させてもらうことが出来た。
 今回の取材を通して、人生の逆境に立ち向う中で幾つもの辛苦を乗り越えてきた女性たちの声を聞くたびに、ある時はやさしく、ある時は力強く、常にみせる機転と精神力のすばらしさにいつも心を打たれた。
 そして今なお、前向きにしっかりと生きている女性たちのことばの数々が、珠玉のメッセージとして心にしみ込んで来る。

かみふらの 女性史  平成10(1998)年3月1日発行
編集兼発行者 かみふらの「女性史をつくる会」 会長  倉本 千代子