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空襲

空襲とは、航空機によって空から襲撃することで、太平洋戦争末期の昭和二十年七月十四日、十五日の両日、東北・北海道に対する米軍の大規模な空襲が行われた。直接的な被害はなかったものの、上富良野村では上空を通過する米軍のグラマン機に、人々はおどろいた。
米軍の記録によると、七月十五日の未明、このグラマン機は襟裳岬の東方沖に位置する第三十八空母機動部隊の航空母艦から飛び立った。夜明けと同時に広尾付近の海岸線に到達し、当時の飛行方法である地形追随方式の有視界飛行により、鉄道線路に沿って目的地の旭川・深川・留萌を目指したとある。
攻撃は数次に分かれて行われ、上富良野上空の通過は少なくとも攻撃途上と帰途の二回あったため、人々に当時の記憶を聞くと、両方とも正しいのだが、飛んで来たのは朝方だった、昼頃だったと、人によっては異なった二通りの答えが返ってくるのはこのためである。
上富良野を通過したグラマン機が飛び立ったのは、米軍艦種記号CVL-24・軽空母「ベローウッド」という、インディペンデンス級の三番艦として就役したクリーブラント級軽巡洋艦の未成船体を流用した航空母艦で、油圧式カタパルトを装備し、搭載機はグラマン機など三十四機であった。
(三原康敬記)
(資料提供者 本町四丁目居住・山本幸作氏)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉