パチンコを始めたのはこの人だ!
昭和十年、現在の錦町二丁目四番十六号において、山平長四郎・ノブヱ夫妻の長男・勇(いさむ)さん十八歳が、五台程のパチンコを据え、一銭(一円の百分の一価格)商売の店を始めた。
一銭でメタル一枚が買え、メタル一枚を器械に入れると玉一発が……コロン……と出る仕組みのパチンコ台であった。
玉が入ると幾枚かのメタルが出る。メタルが溜まると子供はキャラメル、大人はゴルーデンバットという名の煙草一箱(十本入りで七銭)と交換できたという。
当時は米一俵(六十s)が約十一円程で、子供の小遣いは一日一〜二銭くらいであったことから考えれば、子供としてはバンキリ(常に)できるものではなかったように思う。
(佐藤輝雄記)(協力者―勇さんの実弟・山平昭治氏 旭川市在住)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉