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テレビ受信

日本で初めてのテレビ放送が始まったのは、昭和二十八年で、三年後の昭和三十一年の暮れに札幌テレビが開局された。
上富良野でのテレビ視聴の始まりは、札幌テレビが試験電波をはじめたころで、駅前で食堂を経営していた金子さん(通称トンちゃん食堂)が、佐藤電気商会からナショナルテレビを購入し、又旧郵便局に近い佐藤理容院が、ゼネラルテレビを蝶野電器商会から購入している。
どちらも十四インチテレビで一チャンネルしかなかったが、営業用として店内に置きお客の目を楽しませた。どちらが早くテレビを導入したかは今となっては確認できないが、南側地区の映りが良かったといわれている佐藤理容院が若干早かったと聞く。
購入金額は、アンテナ取り付け工事費用を含め、公務員平均給与一年分の収入に相当する十一万円前後で、高価な電器製品であった。遠く札幌からの電波を拾うため、反射電波が多く場所や天候、季節によって異なり、また音声は良いが画像の映りが悪かったので、アンテナの取り付けに苦労があった。屋上にタル木四本で櫓を組み、七メートルもの高さにアンテナをあげたが、やっと誰かの顔がわかる程度にしか映らなかった。しかし、珍しさも手伝って、プロレスや相撲・野球放送が始まる時間になると、多くの客が入り、長時間にわたってテレビを楽しんだ。
電気店にも、多くの人が集まってくるので、商売の差し障りがないように店の前に出し、路上で見られるようサービスに務めた。
昭和三十三年十二月、旭川テレビが開局したので画像も良くなり、その後の皇太子殿下のご成婚式、東京オリンピックの放送が、テレビの普及に拍車をかけ急速に伸びた。
カラー放送は昭和三十五年、全時間カラー放送は昭和四十六年、衛星放送は平成元年からと技術は急速に進み、全時間ハイビジョン実用化も近い。
(千秋幸二記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉