硫黄採掘
流黄は火薬、マッチ、ゴムの製造、薬用、漂白用などに使用されている。
十勝岳における硫黄の採掘はヌッカクシフラヌイ川上流の旧噴火口から始まった。明治四十一年から四年〜五年間、明治年間としては相当量の採掘で、旧噴火口から搬出して精練した。ここから駄馬によって上富良野駅に搬出した。その搬出にあたった人の名ははっきりしないが、「ダグラ伊藤」と言う通称名が残っている。大正に入ると閉山されたので多くの記録がなく、硫黄といえば平山鉱業所だけが知られている。
また翁温泉の硫黄開発については大島組が明治三十八年に始めて三十九年に多く搬出し、四十年にはすでに中止したという文献記事がある。
大正九年一月二十八日、農商務省発行の「鉱物調査報告第二十八号・石狩国空知郡十勝岳付近鉄鉱及硫黄鉱調査報文」によると、「美富(よしとみ)」硫黄山、「ヌッカクシ」硫黄山の記述がある。
「美富硫黄山」は、十勝岳中央火口丘で美瑛村と上富良野村の両村に跨ることから、美富硫黄山と称せりとある。明治初期、北畠男爵が稼業。その後、村田不二三の所有、中川太郎の所有を経て、大正六年七月頃、平山徳治が経営「平山鉱山」となり、大正十五年の十勝岳噴火で休止。昭和三十年四月、磯部 清氏が再開「磯部鉱山」として、昭和三十七年の十勝岳噴火まで稼業。現在、休山中。
「ヌッカクシ硫黄山」は、「ヌッカクシ」火孔内にあり、大正九年より七〜八年前、経営に着手した者があるが、現在休業とある。ここは、現在の旧噴火口にあたり、大正初期の創業で、創業者不明となっている。
(三原康敬記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉