郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

農業共済組合家畜診療所

戦後復興の中で家畜診療所は極めて重要な役割を担っていた。それは農業災害補償法(昭和二十二年十二月五日公布)が制定され、農作物、家畜共済制度として本町では、昭和二十三年三月十五日付農業共済組合設立認可道第一号で組合が発足、初代組合長石川清一(参議院議員となり二代仲川善次郎、三代海江田武信、四代松浦義雄となる)となり、その下に本部家畜診療所長として池本安夫、東中家畜診療所長に酒井保が就任、所員では富沢、木下、福田、東海林、林、本間獣医師が専任となり、次いで本部所長に西武雄、小原源隆、石原勲が引継ぎ、東中所長は沼田芳昭、渡辺良司、藤谷和寛が夫々引き継いだ。
その後専任獣医師(町営及び広域組合所属)として杉本、秋野、瀬田、門山、岸田、小熊技師が在任した。
昭和二十四年から二〜三年間は伝貧馬(法定伝染病 伝染性貧血症)が頻発蔓延し、多くの農耕馬が強制殺処分となったが、屠殺場の焼却、畜舎の完全消毒など、防疫事業と飼育管理指導を徹底した。又当時の農業労働力はすべて人力、畜力によるしかなく農耕馬は農業経営の命綱であり、単なる経済価値としてではなく家族の一員ともいうべき存在で、農耕の他に輸送交通手段として日常生活に密着、同化した。従って年中行事として品評会、共進会、挽馬競技会など優良牛馬を競い合い、生活に潤いを与えていた。更に、家畜診療所においては全国に先んじて臨床研究大会を催すまで本施設の技術水準の向上は目ざましいものがあり、さらに全国的にも優秀施設として注目され、屈指の先進優良診療所として君臨した。
その後池本氏は道農業共済連講習所長(博士号取得)に、酒井氏は北大教授に栄進され斯界を代表する方になられ活躍された。
このように変遷史としては、昭和二十三年農業共済組合誕生、昭和三十七年公営農業共済事業として上富良野町に移譲、昭和四十九年富良野地区農業共済組合営へとなっていった。
又特筆すべきことは、家畜共済は任意加入のため家畜診療所の経営は、必然的に獣医師の資性、人望技量に負うところが大きく、加えて制度自体、複雑難解を極め、又掛金、賦課金のこともあり、制度発足当初は理解不足で加入を拒否、或いは滞納するなど(数年間凶作続きもあり)制度のはぎまにあって、獣医師の仕事も苦労、困難を極めた。
このように、さまざまな事態に直面したが、当時の獣医師の並々ならぬ汗の結晶と、歴代組合長、役職員一丸となって日夜奮闘努力し、加えて組合員地域住民の絶大なる協力支援により、農業基盤の安定、畜産の振興、農業生産力の向上に資するという家畜診療所本来の使命を達成して今日に至っているのである。(尚詳しくは農業共済組合史をご参照下さい。)
(南田 猛記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉