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南瓜

開拓当初から作られて来た大切な食物の一種であった。茹でて食べたり自家製のそば粉、澱粉を加えた南瓜だんごは焼いたり、だんご汁として食べた。
戦後の食料不足の時代にもなくてはならない食料であった。品種も普通南瓜、マサカリ南瓜、くり南瓜など何種類かあり、穴を掘り人ぷんを入れて床を作り、落着いた所で種子を蒔き、あとは自然にまかせた。
昭和四十五、六年頃富良野の北印が初めて農家との契約栽培を始めた。育苗ハウスを建てポリ鉢で苗を作り、摘芯移植し開花と共に、二四D(除草剤)の溶液を霧吹きでかけ交配させる方法で始まった。
出荷には、現在は箱詰めだが最初は袋詰めだったので、形が整わずに苦労したものだった。その後農協も取扱いを始める。移植が終わると防除その他に余り経費がかからない点が認められ、面積も徐々に増えて行き昭和五十年半ばには五十ヘクタール以上、六十年以降は百五十ヘクタールを越す面積となった。
品種もエビス南瓜の外に、みやこ、くり味、味平などいくつもの品種が取り入れられて来た。特に味平は食味もよく収量もあり、市場でも好評なので農協としてはエビス南瓜と共に奨励をしている。
また最近では稚苗移植が多くなった。一枚のマットに七十株位播種出来るので、育苗面積が少なく済み移植時の移動も楽で、活着するとつるの伸びは早く、育苗ポット植えと変らぬ成育が望めるので此の方法を利用する耕作者は増えて来ている。
平成六年度には二百五十ヘクタールの栽培面積をもつ迄になった。平成九年、柿原進を会長に一八六名の会員をもって南瓜部会は組織された。今後、鮮度と品種を誇る上富良野南瓜が、多くの消費者に喜んで迎えられるよう一層の努力を望んで止まない。
他に加工用の南瓜も業者関係ではある程度の作付をされている。
(安部彦市記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉