ラベンダー
フランス原産のシソ科の多年生草木で、古くから栽培されていた香料作物である。北海道にも適すると言われ、昭和十四年頃から関係機関で種々試験栽培はつづけられていたようだ。本町では昭和二十二年上田美一、太田晋太郎、岩崎久二男等が曽田香料札幌工場と話し合いをもち、会社も適地と認め栽培する事に決定した。昭和二十三年より委託栽培が行われたが、同年は活着不良により失敗した。翌二十四年一ha分の苗の送付を受け契約農家に配布し植付された。
早くも二十五年には簡易蒸留器により採油を行った結果、九リットルの精油があり、予想以上に油の量も多く良質であり、農作物として採算がとれる自信を得た。傾斜地での表土流失の防止によく、やせ地でも栽培出来ると言う事で全町的に作付されるようになった。
昭和三十年ラベンダー耕作組合が発足、初代組合長として吉河喜治が選任され、上富良野の特用作物として生産技術の向上、栽培管理、採油率の向上等の研修研究を行った。東中、島津に蒸溜工場を、江花、旭野、日の出、里仁に簡易蒸溜場を設置し、上富良野は全国一のラベンダー生産地となったのである。
初夏の山あいをうす紫の花が染め、詩情に富んだ景観は素晴らしく、蒸溜が開始されると地域全体がラベンダーの香りにつつまれたものだった。最盛期には栽培面積八五ha、全国生産量の八十%を占める迄に至った。
国に於ても、各関係機関と協力しラベンダー栽培についての試験研究に努め、優良品種の選択等に努力し国産ラベンダーの名声は高まっていった。此の陰にあって曽田香料株式会社の果した功績は高く評価されなければならない。
しかし、我が国も高度成長による工業化が進み、合成香料の発展により、天然香料需要の減退と機械化による農業形態の大きな変遷の為、昭和四五年をピークに減反の一途をたどるようになった。本町に於ても昭和五十二年に曽田香料のラベンダー油の買取中止により、農作物としての生産は終了したが、町花として、また観光資源としてラベンダーは大きく見直されている。
省みれば、本町にラベンダーを定着させた先人の方々の御努力と御苦労に対し、改めて感謝と敬意を表したいと思う。
(安部彦市記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉