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人 参

自家用の野菜として各戸に僅かずつ作付されていた人参は、戦前には農耕馬用に、またソース加工用にと、耕作されされるようになっていたが、その面積は定かではない。
戦後、業者との取引が始まり、主に東中方面に集中して作られたが、その後次第に各地で耕作され農協も取扱いを始めた。当初簡易洗い場で対応して来た農協も、昭和五十九年東中地区に人参選果場を建設し、積極的に耕作奨励に入った。これと同時に各地区から部会設立の声が高まり、昭和六十年上富良野農協人参部会が結成された。初代会長に岩崎久二男が選任され、各地区役員が運営に当った。当時一八四戸の耕作者がおり、耕作面積は一三九ヘクタール、総収量は二八〇四トン余をあげた。翌六十一年度は一五四戸で一一八ヘクタールを耕作し、その品種は在来種、エフワン種、キヤロシーで。収量も二四五〇トン余りであった。
各産地間の競争もはげしくなり、品質の向上が強く叫ばれるようになって来た。重粘土の多い本町では変形も多かったため、部会としては格付員を出し、原料のランク付による受入を始めた。その結果次第に粘土地帯での作付は減少の一途をたどり、限られた地域、軽い土質での作付へと変って行った。
部会では、洗果場の処理能力に合わせた作付面積の調整を行いながら市場の開拓につとめ、高品質の製品を出荷する努力をつづけて来ている。
平成六年には十年来会長を続けて来られた岩崎にかわり佐藤洋市が会長に就任され今日に至っている。また平成七年に鮮度を保ち品質を向上させる為人参予冷施設が新設された。
現在エフワン向陽二号を中心に、会員一〇二名が一三五ヘクタールの耕作をしている。沿線各農協がそれぞれ施設を持ち、更に業者も多い中、他に負けない品質を保ちながら耕作者の所得増のため農協並びに部会で努力をしている。
(安部彦市記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉