トーキビ
開拓当初から自家用として各戸に作られていたようである。当時は馬鈴薯、南瓜(かぼちゃ)、トーキビは主食でもあり、間食としても大きなウエートを占めてした。
生食として利用出来る期間はある程度限定されるので、乾燥させて保存しておき冬期間に炒って食べた。また一度茹でたものを乾煉させておき、冬期間再度茄で直して食べるなど当時はなくてはならない作物であった。
品種など殆んどわからないが、後年になり、もちきび、はぜきびなどが植えられたが、ロングフェローが主体をなしていた。
古い資料などによると、明治四十三年頃から大正初期にかけて四百町歩位作付されていたとある。当時の単価も一石四円から六円位であった。一時期面積減少はあったが、昭和に入って十五年頃からまた四百町歩前後と作付が増えた。
戦時中には軍需農産物として、トーキビから取れるアルコールが航空機の燃料に使用された為に奨励されたとも言われている。合同酒精との契約栽培であり檻(おり)を作り乾煉させた。大体十一月に入ると臼を使って杵で脱穀し、その芯は燃料として利用したものだった。当時作られていた札幌八行などの品種も戦後十年位の間に殆んど姿を消し、代って甘味の多いスイトコーンが作付されるようになった。ハニーバンダム、他の品種だったと思う。
昭和三十六年にデイジー食品上富良野工場が新築されアスパラガスの缶詰めに着手し、アスパラガス収穫が終了後スイトコーンの缶詰め製造を行うようになった。続いて同年建設されていた日本合同缶詰上富良野工場も三十七年五月に創業を開始したため、食用、缶詰用ともに面積が伸びて行った。
生食用として出荷する時の油虫防除、一本ずつの手もぎ作業など大変な労力がかかっていたが、最近は機械採りの方向に移行している。
デイジー食品が工場を閉鎖した後、昭和五十四年に農協が合同缶詰工場を買収し、農協食品工場として生産を引き継いだ。アスパラガスを始めスイトコーンの加工、ゆで小豆など多品目を生産していたが、現在はレトルトパックコーンを中心にしたスイートコーン製品が主力になっている。
現在此の工場を中心に、アルテミス八十三、八十二、マーガレット、ピーター二三五などの品種がそれぞれの用途別に作付され、生食用八ヘクタール、レトルト用として三十七・五ヘクタール、缶詰用として五十ヘクタール、それに他業者との取引関係などもあり百二十ヘクタール位の面積が栽培されている。
(安部彦市記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉