郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

菜種(ナタネ)

徳川時代からの生かさず殺さずの農業政策は、規定の三町歩を三年間で開墾すれば払下げをするとなっていた。此の三年間で道庁の附与検査に受かり、土地を得ようと日夜開墾に励んだ人々の苦労は、言語に絶するものがあったと、当時を思い起しながら語っていた古老の姿が想い起こされる。手っ取り早く、作り易いナタネ、ソバなどは、此の政策に対し対応出来る作物として取り上げられたものと思われる。
山を焼き、けずり蒔きで発芽し一番先に出荷出来た。当時は夏作七割秋作三朝と言った作付の状況と言われるが、最初に現金化出来るナタネは多くの農家に取り入れられた。古い資料によると明治三十八年には八十二町歩作付されたと記されている。それが明治四十三年には五〇〇町歩、大正三年には四八〇町歩と大きく面積は増えている。我々の生れる前のこうした面積の伸びが、当時上富良野の特産物と言われたのではないだろうか、大正十年には一九二町歩と下がり、昭和に入ると昭和四年に四十町歩、昭和十七年には五十一町歩と面積的に減少の一途をたどった。戦時中は油を採取する為に政策的に作られた頃もあったし、また品種も和種から洋種へと変っていった。戦後の物不足の時代自家用として搾油し粕を肥料に利用したものだったが、昭和三十年頃迄でその後作物としてはほとんど作付されていない。
(安部彦市記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉