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アスパラガス

昭和十三年、岩田賀平が農業試験場から種をもらって一畝歩つくり、その種を売った事があったというが、東中小学校の浜 巌がアスパラガスの研究者でその有利なことを力説していた。
加藤清が産業課長の頃、喜茂別のアスパラガスを有名にした産みの親、下田喜久三博士のもとで働いていたことのある稲垣万吉が、改良相談所にきて下田博士を招いて講習会を開いてほしいと申し出た。(上富良野町史七十年史より)
その後下田博士、上富良野との話し合いのもと町の特用作物普及の一環として、アスパラガス導入に力を入れる方向に進み、昭和二十九年六月、加藤清(役場)桑田輝市(農協)林義雄(農家代表)が余市町にある下田博士の自宅を訪ね、いろいろと栽培に関する指導を受け、その足で喜茂別のアスパラガス耕作者の現地を視察した。
その年苗を導入、生産第一号として林義雄、川野守一が耕作者となった。その後耕作者が増加し、昭和三十二年、上富良野町アスパラガス耕作組合を設立し初代会長林義雄が就任した。
尚、加工場については、昭和三十六年デージー食品工場、合同缶詰工場と二つの工場が建設されたが、合同缶詰工場の操業は翌昭和三十七年五月十五日からであった。
アスパラガスは主として缶詰用原料として生産されていたが、市場での生食用グリーンアスパラガスの需用が高まり、缶詰用原料の確保調整が困難なことから、昭和六十一年デイジー食品工場が富良野市の同系工場に吸収閉鎖となり、合同缶詰工場は町農業協同組合に移譲され直営工場として現在も製品を作っている。
(桑田輝市記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉