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農協青年部

一、上富良野農業協同組合青年部設立の背景と動機
いつの時代に於ても、その時代に立脚した青年の活動があらゆる分野に於て大きく社会発展に貢献している。なかでも戦前に於ける農村運動として最も顕著な組織活動を展開し、今尚高く評価されているのは、産業組合を拠点とし同志結合して、農民の共存共栄に根ざした自主的実践団体としての産業組合青年連盟(産青連)である。上富良野町に於ても大正三年三月十日に産業組合が設立され、農村経済の拠りどころとして活動を行っていたが、産業組合運動の発展から生じた利害関係が全国的な反産運動を発生させていた。
一方、昭和五年の農産物の大暴落による豊作貧乏、続く六年・七年の凶作、政局の不安と不景気は農村の窮乏を更に高めた。この危機に辛苦する農村の姿を見るにしのびず、産業組合主義経済の確立によって農村を防衛しようと、昭和六年二月十一日盟友七十八名を以って産業組合青年連盟上富良野愛郷会が誕生し、困難な状態に置かれた組合運営と農村防衛に邁進したのである。
昭和十三年頃から日本は戦時体制に入り、国家総動員を要する時代となり、昭和十六年一月二日上富良野産青連は解散した。
時代は戦争と云う大きなエネルギー消費の姿に代り、産青連の活動も姿を変えて大政翼賛会となり、戦い終って敗戦の混乱の中に農民同盟へと生れ変る。昭和二十二年連合軍より出された農民解放指命がきっかけとなり、戦後農村民主化の一環として、農業協同組合法が制定され、昭和二十三年には農業協同組合が続々と誕生したのである。
こうした協同組合設立の背景にあって、食糧難による農村の一時的な好景気も戦後の復興と生産の増加が進み、経済安定政策がとられると農家に対する重税は農村に大きな混乱をまき起した。こうした社会情勢の中で農民は精神的な拠りどころを農協に求め、農民の自主的再建を呼び、各地に於ていろいろな形の農民組織が結成されるに至った。
本町に於ても、農村経済の進展の為に情熱を燃やしている人々の集りとして、農村同志会が存在していた。そこでは和田正治氏を中心に時事放談を重ねていたのである。昭和二十四年に農協が大火災に遭い、石川組合長を中心に再建にあたるが、当時の世相を真正面に受け、農協運営には極度の苦心をされたとある。さらに昭和二十六年、経済は統制から自由へと移行し、経済情勢の急変にともなって農協経済も不振の一途を辿った。この現実を見せつけられた農村青年は、農村同志会を中心に四月二十七日農協青年組織を結成するため。第一回準備会を開催し、出席者二十一名と単位青年団長を以って青壮年準備委員会を設置した。
農協の実態と青年部の必要性等広い範囲に亘って自主研鑚を行い、更に農協役員との研究会、町有志との座談会、単位青年団長との連絡会議、学識経験者による懇話会、全道青年部の分析等あらゆる分野に於いて調査研究が行なわれた。七月二十四日第二回準備委員会を開き、設立準備委員長に菅野 稔を選任し、加入申込者の検討、創立総会提出議案の審議を行い、設立総会の日程を八月二日に決定した。
農村反映と農村民主化を図るべく、農協運動の前衛隊になろうとの意気込みと認識の上に立って、昭和二十六年八月二日青年有志百八十名の参加を以って上富農協青年部の設立を見たのである。初代部長に多田武夫が選任され、永遠の理想郷実現の為大きく一歩を踏み出した。
昭和四十四年東中農協青年部と合併がなされ、以来農協青年部は大同団結し時代の流れと共に貴重な足跡を残し、農協の外郭団体として、理想遠大なる綱領の基に幾多の試練を乗り越え今日に至っている。
二、東中農業協同組合青年部
東中農協青年部が結成されたのは昭和二十六年一月十日で、これは上富良野農協青年部の結成より半年以上も早い事になる。
戦後、農村が一時的な食糧難による好景気の続いていた昭和二十二年頃から、農村経済を無視した経済安定政策の施行に依り、又税金攻勢で農村経済は窮迫の度を加え、農家経済に圧迫が加えられる状勢に至ったのである。此の様な状勢下にあって、ややもすると目先の利害にとらわれ惰性的な農業より脱却し得ない農村の実態を反省し、新らしい農村の自立経済を確立しなければならなかった。
其のより所が農協の振興であると農村青年が立ち上がった。「農協は農村の生活文化経済の中心であり、組合を盛り立てる事が農村繁栄の近道である」事をはっきり認識し、我々が組合の前衛体になろうとの意気込とがっちりしたスクラムを組んで発足したのが青年部の姿であった。
昭和二十五年十二月十九日、高木信一・北豊次郎・左藤根久一・八倉巻守・青地繁等が第一回の準備委員会を開き、同日、委員会終了後直ちに規約起草委員会を開催する。昭和二十六年一月七日、第二回準備委員会を開催し、規約案を決定する。
昭和二十六年一月十日、東中小学校を会場として設立総会を開催、規約案の承認、綱領の決定を経て東中農協青年部が設立されたのである。初代会長に土屋久雄氏を選任、農村民主化の為青壮年を結集し、農村の経済的、社会的地位の向上を図り、次いで増産にはげみ、これが楽土建設の推進力となるとの信念のもと活動を続けていた。昭和四十三年、上富良野・東中両農協の合併により、青年部も合併統合し、上富良野農協青年部として現在に至っている。
(菅野 稔 記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉