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農民連盟

終戦直後の昭和二十年十月、北海道農業会の中に農地解放や農業団体の民主化を求めて、農村建設連盟結成の動きが始まり、道内各地の元の産青連を中心とする活動家宛に委員の委嘱状が送付された。これに呼応して、農民の自主的組織として、同年十二月十一日に上富良野農村建設同志会(会長和田松ヱ門)が設立された。つづいて翌年八月十六日には東中勤農組合(組合長西谷伍一)が設立され、同日に前年設立した農村建設同志会を上富良野村農民同盟(委員長和田松ヱ門)に組織変えした。翌年これに呼応して東中地区も東中農民同盟と改称する。
このころ農地解放が一気に進み農畜産物の強権供出や事前割り当てに抵抗したり、役員が魚肥・石炭を求めて北見や神威炭鉱に出かけたのは終戦当時ならではの活動であった。
昭和三十一年九月三十日に、北海道農村連盟が結成され、石川清一が委員長となり、農民のためを目的とする北海道の農民団体が、共産党を背景とする日農北連と、社会党系の北海道農民同盟と、自民党系の北海道農村連盟の三つとなった。石川清一氏の身内の和田松ヱ門が北海道農民同盟委員長に就任したことや、北海道知事選挙で田中敏文と、農民運動で先頭に立っていた黒沢酉蔵が組織を二分にして戦ったことなどに端を発して我が町でも多くの会員の支持が得られなくなり、会費不納が相次いだ。昭和三十五年二月二十八日に上富良野町農民同盟が、翌年四月一日に東中農民同盟は解散することになった。
しかしその後直ぐ、昭和三十六年四月十五日に新たに、上富良野町農民協議会(会長 谷 与吉)が結成され、この時制定された新綱領には、特定政党に対する支持は行わないという一項が入り、今日まで続いている。
昭和四十六年一月二十五日に現名称である上富良野町農民連盟(委員長 長沼善治)に名称を改称する。その後の委員長には、南 藤夫・藤沢直幸・谷本和一・岡和田 繁・上川 隆・柿原光夫・岩崎治男らがあたる。
昭和四十八年一月には上富良野町農民連盟青年部(委員長 清水 正)が組織された。
組織活動は、農業政策要求・農畜産物価格要求・農畜産物輸入自由化反対・農業所得税対策などであった。
(鈴木 努記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉