郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

農業協同組合

一、上富良野町農業協同組合
終戦と同時に占領下に置かれた我が国は、民主主義のもとに、平和と自由を求めて新しい道を歩むこととなった。
昭和二十年十二月、占領軍司令部より農民解放の指令が出され、これに基き政府は第一次より第七次に至る案が改定された。昭和二十二年十一月十九日に農業協同組合法が公布され、十二月十五日より施行されることとなった。
振り返ると、昭和十二年上富良野産業組合と、東中産業組合とが、政府並びに道の指導のもと合併し、上富良野村共立産業組合としてその機能を発揮して戦時下、戦争が激しさを加えるに従い、統制の力が加わって、農業会として活動した。しかし、幾ばくもなくして終戦となり、更にGHQの指令となって漸く農協法の下に協同組合が組織されることになった。
これからは農民の自由な意志で、自分の力、自ら環境を良くし、生活の向上を図るべきであるとの考えで新しく誕生する農協は、東中の要望を入れて大正初期と同じく、上富と東中との二つの農協を生むことになり、相互理解の下に資産を分割(農業会資産)し、それぞれ独自の道を歩むこととなった。
上富良野村農業協同組合の設立
設立発起人会は和田松ヱ門氏他三百七十五名よりなり設立準備会を開き、定款作成委員佐藤兵次郎氏ほか、十四名を選任し作成に当り、昭和二十二年二月十四日創立総会を開催した。定款の承認、事業計画の設定、その他必要な事項を定め、理事、監事を選任し、石川清一氏のほか十四名の理事をもって事務の引き継ぎを行って、設立認可を申請し、昭和二十三年三月二十二日出資の完了を見、設立登記を完了し、四月一日より本格的に事業を開始した。
昭和四十三年四月三十日に東中農業協同組合と合併して今日に至っている。
二、東中農業協同組合
設立までの概要
東中農業協同組合は、昭和二十三年一月二十五日創立総会を開催して役員を選任し、定款を定めて、北海道知事より、全道十二番目の総合農業協同組合として認可され、直ちに第一回の出資金の払込みを得て、同年三月二十日設立登記をして完了したのである。
   予協第一九九号指令(上川支庁経由)
空知郡上富良野村東八線北十八番地
             上田美一外三十八名
昭和二十三年二月五日申請のあった、上富良野村東中農業協同組合の
設立について認可する
昭和二十三年二月十八日
             北海道知事 田中 敏文
やがて、時代の流れにより、昭和四十三年四月三十日、上富良野町農業協同組合と、東中農業協同組合とが、両組合員の総意により合併した。
(春名健一記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉