郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

その他の祠・稲荷

稲荷祠(草分二)
明治三十三年頃創祠する。伊藤家の守護神として個人でお参りしている。(祭日四月九日)
正一位竹駒大神(江花二南)
明治四十三年八月吉祥日建立する。赤い鳥居があって昔は女だけで春秋の社日にお祭りしていた。祠内に江花青年組の絵馬(明治四十三年八月吉祥日)がある。
稲荷神社(江花二北)
大正十三年に西四線北二十三号道路右上に建立する。上富良野市街地の亜麻会社で祭っていたのを、この会社が廃止になったとき、大場金五郎が貰い受けて、自分の土地に祭った、その後江花二北部落が春秋の社日にお祭りをする。
稲荷祠(里仁・共進)
昭和十一年荒直家裏に創祀する。併設している馬頭さんと共にお盆に大雄寺住職に来てもらいお参りする。
正一位稲荷神社(島津 丸一山)
大正初期頃の建立で、上富良野市街現在の栄町にあった亜麻会社の守護神であったものを、牛馬商の近藤政房が祭った。
後昭和三十五年七月十六日に商工会有志が丸一山々頂に遷宮し、大相撲招致、商工会運動会社など催したが、年々御守りする者が無くなり朽ち果てたため、平成二年か三年頃金子全一が神社宮司により御神体をお祓いして、京都稲荷大社に返納し廃社とした。
稲荷祠(斜線道路二十四号)
昭和の初め頃は斜線道路と二十四号道路とヌッカクシフラヌイ川の間は大きな白樺の木と笹薮が繁り、狐が人に悪さをし巧みに化かすということで稲荷祠を建立した。
戦後になってヌッカクフクラヌイ川のはん濫で祠は流失する。(黄田義栄氏の話)
(大森金男記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉