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馬頭観世音菩薩

馬頭観世音菩薩(東中)
明治三十五年十月吉祥日建立する。東八線北十八号の場所で、祭日には中富良野弘照寺住職により四月十七日にお参りされた。昔は餅まきし、最盛期は馬の安全を願って数十頭の馬が集まり盛会だった。今は参拝のみである。
三面馬頭像(深山峠)
明治四十二年二月二日創祀する、愛馬を供養するためで、以前は四月七日に中富良野弘照寺住職を呼んでお祭りした、日の出杉山嘉三郎敷地内から平成七年六月に深山峠に移設する。
馬頭観世音(日の出二上)
大正三年三月二十七日建立する、東二線の会館敷地内、馬頭尊は伊藤兵蔵が東中倍本で祭っていたが同氏の移住で移設した。
馬頭観世音(旭野山加)
大正六年一月十八日建立する、旭野三会館右横、当初は旭野五であったが自衛隊演習場に土地が買い上げになったとき移設(横一列に三体ある)。
奉齋渡曽根神社(旭野三)
大正六年八月一日建立する、旭野三部落で祭っていたが後に山加に三体合祀する。
南無阿弥陀佛馬(上富良野墓地)
大正七年十月三十一日に建立する。元市街常盤区創建、朝倉孫八郎。昭和五十九年十月三日上富良野墓地に移設する。世話人勝井 勇、六平 健、木津国雄、見あげるような大きさである。
三面馬頭像(草分三重二)
大正十一年八月十七日建立する、西六線北二十八号の道端の御堂内で右隣に追善記念碑がある。
祭日は四月十七日大雄寺住職によりお参りする。
馬頭観世音(日新五)
大正十二年七月創祀、昭和十三年十一月再祀。
祭日は、もう一つの馬頭、山神と共に十月二十四日上富良野神社神主によりお参りする。
三面馬像(里仁神社)
大正十三年九月建立する、当時の馬は農家の財産であったため大勢の有志が結集して建て、昭和五十七年に神社境内に移設する。
南無大悲馬頭観世音菩薩(旭野中の沢)
昭和三年三月健納(建でなく健と彫る)。旭野中の沢の地神の隣。祭日は九月十八日行う。
南無馬頭観世音菩薩(里仁共進 荒宅)
昭和四年四月十七日建立したが、昭和十一年十一月十日に荒宅の裏に移設する。火災により愛馬と牛が焼死したので大雄寺住職にお盆参りの折お経を貰う。
三面馬頭像(日の出二下)
昭和五年六月十七日創祀、横山和義の庭で有志の者も数名お参りしている。祭日は一月七日とお盆にしている。
馬頭観音(上富良野墓地)
昭和九年七月七日創祀し、昭和十年九月と昭和四十九年五月に再祀する。祭日は十月十七日に行う。
馬頭観世音(旭野山加)
昭和十年に建立したが、自衛隊演習場用地買収時期の後旭野山加で三体合祀する。
馬頭観世音(日新五)
昭和十三年十一月建立する。両脇に地神と山神がある、祭日はもう一つの馬頭、山神と共に十月二十四日に上富良野神社神主により行う。
三面馬頭像・馬頭観世音(江花公民館)
昭和十四年十一月建立し昭和三十八年九月移設。
当初は江花二北、西村澱粉工場隣にあり、祭日は大雄寺住職により四月十日に行う。
馬頭観世音(日新鹿の沢)
昭和十六年九月二十七日建立する。右隣には天照皇大神碑がある。祭日は春秋の社日に行う。
馬頭観世音(上富良野墓地)
昭和十六年十一月建立する。大正十四年十二月に西村之治は九才の馬を買ったが、大変賢い馬(朋月号)で荷役や農耕をさせると指示がなくても意を解して良く働いたが昭和六年急死する。昭和十六年に遺体を埋めた上にこの碑を建てる。
南無馬頭観世音(墓地)
昭和二十年六月建立したが、平成七年七月上富良野墓地に移設する。山田由郎氏の種牡馬、白梅号急病死の供養と出征中の親族の無事を祈って建立したものだが、年々お参りを行わなくなったための移設である。
南無馬頭観世音(東中一東)
昭和二十一年七月に秋葉神社の右隣で林の中に建立し、部落内の馬頭を二体併置してある。祭日は四月一日か二日、九月四日天候を見て部落で決めて行う。昔は幻燈・相撲・浪花節(八畳二間がいっぱいであった)などしていた。
南無馬頭観世音菩薩(上富良野墓地)
昭和二十八年四月十七日建立する。当初の草分更進から昭和五十三年四月十七日に墓地に移設する。管理していた林春雄が離農し市街に転居したためである。
南無馬頭観世音菩薩(江花三)
昭和三十年四月七日江花三の峠高台畑の中に建立。江花二北から三部落を径て美瑛町ルベシベに越す峠にあり、石畳の上に建立(祭日は四月七日)してある。当時の江花三部落に上がる道は急坂で馬に無理がかかったため、死亡が多かった。
馬頭観世音菩薩(草分篠原宅)
昭和三十年七月吉日創祀する。当初の富良野八幡丘宮崎宅から昭和四十五年三月二十六日に篠原藤一郎(弘)屋敷内へ移設する。祭日は四月二十七日。
家畜畜類一切之霊位(日の出一)
昭和四十二か四十三年頃創祀する。昭和五十二年七月二十一日再祀。卒塔姿、高松家の傍である。
南無馬頭観世音(江花神社)
昭和四十四年建立する、当初林 正男屋敷内であったが、昭和四十四年に離農したので江花神社に移設。
南無馬頭観世音菩薩(上富良野墓地)
昭和四十九年八月建立する。(四角木柱)
坂弥馬頭尊(島津二南)
建立年月日不明である。坂弥家で使役していた牛馬家畜類の供養のため建立したが、その後離農し転出したのでお参りはしていない。
(大森金男記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉