宗派神道
仏教信者についで多数を占めるのは、宗派神道としての天理教徒である。教会を中心に力強い布教が続けられている。
天理教北鎮分教会
明治四十三年三月十二日布教開始する。当初は東八線北十八号にあって昭和二十八年六月に、日の出教会(新町三丁目)を新築し移転する。分教所笹山善五郎、教会長狩野留治、大正十三年一月二十二日よりと記録されている。教会長狩野善則、同狩野厚弘。
大正十三年四月十四日天理教撫養大教会北鎮宣教所であったが、昭和十六年四月教親政正により現名称になる。
天理教上富良野分教会
明治四十四年六月二十日設立される、天理教兵神大教会夕張分教会上富良野宣教所として市街一町内で布教活動を開始する。昭和十六年四月教親政正により現名称に改称される。昭和四十六年十月市街一町内(宮町)より現在地の(東町一丁日)に神殿教職舎移転新築する。
歴代教会所長、会長は
初代 藤崎 幸一 明治四四年 六月二〇日 二代 佐藤 正信 大正 六年 一月三〇日 三代 佐藤ユキヱ 昭和 六年 六月二九日 四代 佐藤 道信 昭和二九年一〇月二七日 五代 佐藤 国男 平成 五年 三月二〇日
天理教旭江分教会
大正五年一月布教開始する。当初の西十二線北二十八号から昭和三十四年四月二十二日現在地の西町一丁目に移転する。大正十二年六月天理教南海大教会雨龍支教会旭江宣教所設置認可、大正十四年一月十九日に天理教南海大教会雨龍分教会旭江宣教所に改称する。昭和十六年四月教規改正により現名称に改称される。
歴代会長は
初代 笹谷竜之助 大正一二年 一月二九日 二代 大串 新七 大正一三年 三月二五日 三代 大串 直平 昭和一七年 一月二七日 四代 台丸谷 明
天理教上富分教会
大正九年四月布教開始する。昭和三十一年三月栄町より北町二丁目に移転新築す、大正十四年五月上富良野宣教所設置認可、昭和四年二月二十二日天理教郡山大教会北陸分教会高台支教会上富良野宣教所に改称、昭和十六年四月教規改正により天理教上富分教会に改称する。
役職者開始時森 久八、二代 森 久一、教会長森 邦興、昭和四十一年総代森 義雄、宮下久幸。
天理教甲富分教会
大正十五年二月に宣教所認可、天理教甲賀大教会秩父分教会武光支教会甲富宣教所として設置、昭和十六年四月に教規改正により現名称に改称する。
所在地本町二丁目、初代教会長佐藤初吉、二代大和田武雄。
天理教江花布教所
昭和三十一年三月二十二日中富良野西中にある天理教富原分教会の系統に属する板垣フジノ、山中トキの協力で開所した。開所松田さつ、代表者松田佐市、所在地江花。
天理教道栄分教会
昭和四十二年新築する、当初は昭和十一年に中富良野村曽根某が布教開始していたが、本町三丁目教会長竹内善治が引継ぐ。
天理教寺仁分教会
昭和五十八年四月教会設立し、神殿新築する。
場所旭野二下、初代会長杯信義、二内林たみ子、平成四年五月引継ぎ。
神道大和教結社
昭和二十七年十月二十一日創立する。小林キノが昭和十三年十月一日新潟県で扶桑教の免許を受け昭和二十七年十月二十一日大和教の独立によりその傘下となり、昭和三十二年に権少講義となって宗教活動を開始した。所在地旧三町内、創立小林キノ、本部旭川市五条十一丁目、神道大和教、教主山田 誠。現在は廃止となっている。
神道實行教至誠教会
昭和十六年十二月創立する、代表者兼訓導日向菊以、昭和十七年一月二十日宗教結社の届出をし同年三月二十日認可される。現在は廃止となっている。
(大森金男記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉