墓 地
上富良野の墓地は西二線二十二号に指定許可されるまで、各地の聖地に墓地が有り、当時は殆ど土葬され墓場には墓標又は墓石を建て祭られていたのである。
上富良野共同墓地として大正十三年十月三十日火葬炉が出来許可され、爾来死亡された町民は火葬炉により白骨化され、骨は共同墓地に埋められ静かに永眠される事になった。
出来上った火葬炉の燃料は薪で、完全に白骨に焼けるのに三〜四時間は要したが、現在は火葬炉も改良され燃料も重油で所要時間も約二時間となった。
上富良野共同墓地は十勝岳の最もよく見える位置に有り、市街地及び農村地帯を一望出来る、ここに開拓以来の人々が骨を埋められているのである。
西島津地区の上富良野共同墓地へ集合されつつあるが、各地区の墓地は今も守られている。
・上富良野共同墓地(明治三十五年六月三日)認可
・東中共同墓地(明治三十九年九月二十五日)認可
・江幌共同墓地(明治四十四年一月二十五日)認可
・静修共同墓地(大正二年十二月十日)認可
・豊里共同墓地(大正二年十二月二十一日)認可
(羽賀美代子記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉