郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

獣医師

開拓初期から家畜は農家を支える家族同様の思いで育てられ、家業の重要な労働力と考えられていた、したがって牛や馬がけがをし、病気になると大変な思いで治すことに奔走したのである。
頼りとする獣医師は無く、初期頃は村民の中で伯薬医と言われた朝倉孫八郎やその弟子だった山口仲次が治療に当たられていたが、いつの頃からか、伴獣医師が開業されていたことは確かである。次には空知農学校を出た朝倉某が開業され。その診療所の跡地に馬頭尊と刻んだ碑があったことでも明らかである(碑は現在中央墓地の一角にある馬の霊園に移転されて建っている)
大正八年海江田武信(元町長、現錦町で)、つづいて西野目喜太郎(元在郷軍人分会長、現栄町で)が開業したが当時の診療所入口には赤い電灯が付いていたことも記憶にのこっている。
昭和に入ってからは小野山二郎、掛村松太郎が海江田獣医師の跡をうけ、阿部某、谷口 聡、河井謙二(現錦町で)久保森義(現大町で)伊藤正勝(現錦町)が多忙な医療業務に当られ特に畜舎へ昼夜の別なく往診に出るには当時としては珍しいと言われたオートバイを駆使して活躍されていた。
昭和二十七年以降については農業共済組合の家畜共済制度ができ、時代の流れの中に家畜診療所が生れた。
(佐藤正男・前川昌之記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉