郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

産婆・助産婦

開拓初期頃のお産婆さんの事情は全くと言う程わからないが、古老の話から辿ると、近くで経験豊かなお婆さんがお産をとり上げていたことから、このような人を「とり上げ婆さん」と頼りにされて、連絡があれば即刻、深夜でも遠い山路を駆けつけお産の介護に努めていた。
正式に「産婆」の看板を掲げた最初の人は、大正初期に内地の病院で看護婦をし認定証(許可か免許証かは定かでない)を得ていた木内よね(現本町)が始まりのようである。その後に木村某(上小教員の母親―現宮町)、中田某(駅職員の母親―現中町)、金子シナ(元村長夫人―現中町)が居た。
昭和に入ってからの産婆、助産婦(資格免許制の改正で戦後変る)は次のとおりである。
谷口ツヤ子  昭和初期から
相馬とらよ  昭和十八年〜三十七年
及川 綾子  昭和十九年〜
沢田ツヤ子  昭和二十五年〜三十八年
(高橋寅吉・芳賀美代子記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉