修学旅行
今では各学校の修学旅行は学校行事として定着しているが、上富良野で初めて修学旅行が実施されたのは昭和二年であった。当時高等科二年だった私が本誌第一号(一九八一・一〇・一〇発行)に『上富良野小学校の旅行』に書いたように、この修学旅行は前年度から行事として組み込まれていたかどうか解らないが、たまたま前年は十勝岳の大爆発という天災で、運動会さえも取り止めなったくらいなので、旅行どころでなかったかと思う。しかし、災害の沈痛ムードを払拭し活気づける一つとして、学校や父母会は、実施に踏み切ったのでなかろうかとも推量される。
いずれにしても昭和二年七月、対象は東中を含め高等科の男女六十名程であったが、汽車の団体割引が定員八十名なので全員参加でも足りず、全町の尋常科の卒業生からも希望者を募り、ようやく員数をまとめたようだった。
初めての行事なので旅行目的の貯金はゼロ、わが家にしても、前年爆発の災害に遭っており、余裕もなく、苦しい家計は私もよく解っていたので、恐る恐る両親に話したが、許しを得たときは本当に嬉しかった。霜降りの夏服は姉のお陰で新品となったが、編み上げの靴と鞄は欲しかったが、どうしても言い出せぬまま履物は二十銭の草履、鞄は姉のバスケット、それに小遣いは五十銭玉一つを、虎の子のようにして出掛けた。札幌の旅館で、皆の靴と並べておいた筈の草履がなくなったり、生まれて初めての小樽の海を、夢中で眺めウロウロしていて迷子になったり、私にとって全くハプニングの多い旅行だったが、あれから七十年余り、思い出す度に苦笑いの懐かしい旅行であった。
(水谷甚四郎記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉