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上富良野演習場の思い出― 特別寄稿 ―

私が道庁在職中、自衛隊(この当時は保安隊と称していた)上富良野演習場の決定に関わったことを、元の同僚の懇親会の席で述べたことがある。その席に偶々上富良野町出身で、道庁の現職幹部の人も同席しており、「上富良野町では郷土をさぐる≠ニいう郷土誌的なものを毎年刊行している。今の話を文章にして是非投稿してやって貰えないか」との要請があり、地元から取り寄せたその十三号と原稿用紙が届けられた。
四十年以上も前の事であり、私が道を退職してからでも三十六年も経過しているので手許に資料もなく、私の記憶を辿って漸く取りまとめたのが、次に記載した経緯である。
自衛隊が演習場やキャンプ用地を取得しようとする時は、農林省農地局に、@用地の使用目的 A用地の規模 B場所 を定めて申し出ることになっており、農林省は関係の知事に照会して諾否の意見を求めて防衛庁に回答するという仕組みになっていた。道庁では農地開拓部の当時の用地課(調整係)が担当して、申出地の市町村、土地所有者、利害関係諸団体等について必要な調査を行ない、その結果を道条例で設置されている「駐留軍自衛隊施設対策委員会」に諮問説明し、その答中に基づいて、知事として申し出用地の提供に賛成か反対かの意志を定めて農林省に回答する仕組みになっていた。
当時私は用地課の調整係長として、一般用地事務のほか、駐留軍や自衛隊用地の提供可否を調査処理する事務も併せて分担していたので、所轄の自衛隊建設部(現在は防衛施設局に統合されている)の担当係官と共に、前後二回にわたり、上富良野町に赴き演習場に要求されている関係地域を踏査し、町当局や関係期間(特に東中土地改良区=中西理事長・床鍋専務理事等)の意見を詳しく聞き、状況の取まとめを行い、「施設対策委員会」に報告諮問し、大多数の意見で提供可≠フ答申を受け、農林省に提供可の報告をしたのであった。
以上の過程に於て、地元で最も深い利害関係者である東中土地改良区から提起された「国の責任で幹線潅漑用水路の改修工事を、地元側設計案のように実施すること」の条件を満たすため、農林省や防衛庁との接衝に苦労したことを覚えている。
上富良野、中富良野に跨がる水田千町歩余の潅漑は、その水源をベベルイ川等の水系に求めており、演習場となる十勝連峰山麓一帯の緩傾斜地は、ベベルイ川等の集水区域となっており、演習によって樹木植生が荒廃すれば、集水機能の減退は明白である。
のみならず、幹線用水路一帯の地質は砂礫地のため従来から漏水が多く、降雨の少ない時期は用水不足に悩まされてきた由である。集水区域が演習場となれば、潅漑用水不足に陥ることは明らかなので、漏水しない幹線用水路の改修は不可ということになり、その施行案を示して農林省防衛庁と接衝したのであった。この当時の農林省農地局の担当課長は元道庁開拓部長の和栗博氏であり、担当の技官が根元氏であるので、話し合いは円滑に進んだ。
又、地元上富良野町出身の参議院議員石川清一氏が地元のことでもあり、議員の立場から非常に熱心に援助協力され、時には交渉をリードするなど力強いうしろ盾になられた事も、地元案丸呑みの形で解決し、昭和二十九年当時の金で五千万円の工事費が確保され、たしか翌昭和三十年に工事の竣工を見たと記憶している。地元側は演習場提供の承諾と交換の形で、歴年懸案の用水路改修予算が確保施工されめで度く上富良野演習場問題の決着をみたのであった。
(元北海道農地開拓部長 吉田明貞 記)
筆者吉田明貞氏の略歴
明治44・5・5
大正15・3・22 美瑛尋常高等学校小学校卒業
昭和10・8・12 交管普通試験合格
10・11・2 北海道庁警察官
昭和20・11・1 北海道経済部農政課
21・11・18 北海道農地開拓部農地課次長
33・10・25 北海道農地開拓部総務課次長
34・8・22 北海道農地開拓部農地課長
36・11・1 十勝支庁長
38・5・24 総務部次長
39・4・5 企業局長
40・4・5 農地開拓部長
42・5・20 考査監兼職員研修所長
43・4・1 北海道職員研修所長→自治研修所長
45・4・1 道退職
45・7・1 北海道開発用地公社理事長(開発公社に改組)
49・3・31 同上退職     (以下省略)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉