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電信(電報)・電話

電信(電報)

明治四十四年十一月六日から取扱いが開始されたが、当時の電信(電報)はモールス符号により電鍵により各郵便局間で送受され、受信された電報は電報配達員が即日宛名へ配達した。
モールス符号は電鍵により、トン・ツウツウ方式により仮名文字で、イはトンツウ、ロはトンツウトンツウ、ハはツウトントントンと云う具合にこの音により仮名文字に書き替えた。この通信係は逓信講習所を卒業した有線通信手であった。
父危篤急ぐ帰れ、の電報はモールス符号では父(トントンツウトン、トントンツウトン)危(ツウトンツウトントン)篤(トントンツウトントン、トントントンツウ)急ぐ(ツウツウツウトンツウ、トントントンツウ、トントン)帰れ(トンツウトントン、ツウトンツウツウツウ、ツウツウツウ)という具合であった。
これも昭和三十年十一月三十日廃止され、現在は電報発信希望者が電話で直接宛名氏名希望内容を、札幌電々公社サービスセンターに受付中込みし、センターから各地の電報配達請負者にコンピューターで送信され電文をそのまま、各地の宛先に配達されている。
画期的な改革である。現在郵便局で電報受付はしないが電子郵便としての取扱はしている。
電  話
明治四十四年十一月六日上富良野郵便局で電話(通話のみ)取扱を開始、電話交換は大正九年三月三十一日に開始した。
電話交換業務は昭和四十五年七月二十四日全面的に自動交換に切替えられた。上富良野郵便局も当初は電話加入者も数十軒であり、昭和初期は五十数軒、現在は町内ほぼ全戸加入と推定される。現在は郵便局で電話関係事務の取扱はしていない。
(高橋寅吉記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉