大火災
消防機関が、初めて組織編成され活動を開始したのが、明治四十四年に私設上富良野消防組が誕生し翌四十五年に代表者西川竹松(西川牧場主)が初代の公設消防組頭に就任した時で、以来、火災・風水害・火山爆発被害・防犯活動等とのながい戦いが開始され、数多くの活動が記録された。
当時、明治から大正に掛けては、原野の焼畑農法による開拓営農で、森林火災の傷跡が随所に残されている。
わが町の大火の記録は、町史・上富良野消防のあゆみ「纏」によると、昭和四十一年迄について概要次の通りである。
○明治四十四年八月十四日午後一時
東一線(内容不詳)火災。
○大正十二年三月十八日午後七時十五分。
東七線北十八号東中小学校全焼。
○同年三月
十勝岳山麓山火、三日間燃え続ける。
○大正十四年五月
十勝岳山麓山火、紛一ケ月間にわたり延焼、完全鎮火まで四十二日間
を要した (現在の演習地)。
○昭和五年七月二十三日
市街地駅前空き家から出火、十五棟二十戸全焼。
○昭和八年六月六日午後七時
市街地火災。十三棟十四戸、罹災者五十五名、上富良野駅も類焼。
○昭和十七年三月十五日午後九時四十分
東一線北二十号の住宅納屋共に全焼。
○昭和十七年五月四日午後四時三十分
長野農場の住宅納屋共に全焼、飛び火して山林百町歩焼失。
○昭和十七年七月二十日午後四時三十分
西三線北二十六号、内容不詳。
○昭和十七年十月二十七日午後二時三十分
東六線北二十号の住宅納屋共に全焼。
○昭和十八年五月十八日午後五時十分
市街地、内容不詳
○昭和二十四年六月十日
市街地八町内(現栄町)翌十一日まで延焼の開町以来の大火となり、
百十二棟、四十八世帯が罹災した。
○昭和二十四年十一月二十二日午前四時四十分
西二線北二十八号に当時あった専誠寺が強盗放火殺人事件により
出火全焼、 内田住職と坊守が死亡した。
○昭和三十四年二月九日
十勝岳勝岳荘焼失。
○昭和四十一年五月二十六日
自衛隊演習場火災
(青柳輝義記)
機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉