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東中の開拓

東四線北二十二号附近から東四線北十六号以東が東中地区でその中心を斜線道路が走っている。
斜線とは、上富良野市街地神社前からやや東寄りの南に向って丘町の紅葉橋から真直に東九線北十七号まで斜にのびている道道上富良野旭中富良野線で、地元の人々は斜線と呼んでいる。
地区内は原野と山地であるが、山地の一部及び十勝岳山麓を含めて昭和三十年自衛隊演習場になったが、水清く風光明媚な地区である。
開拓は最も古い記事によれば、明治三十年に人見農場が東中地区農場団体牧場系図に記載されているが、移住の第一は明治三十一年有塚利平氏外七名で続く初期入植は次の記録がある。
明治三十二年 岩崎虎之助外十名
明治三十三年 福家登代次外二十六名
明治三十四年 坂本太右ヱ門外八名
明治三十五年 田中四郎外二名
明治三十六年 藤森次郎、九郎外五名
明治三十七年 泉 六太郎外三名
明治三十八年 宮崎与太郎外六名
明治三十九年 岩部伊太郎外六名
明治四十年  西谷元右ヱ門外八名
明治四十一年 本田庄松外五名
明治四十二年 狩野留吉外三名
明治四十三名 島貫清蔵外二名
明治四十四年 村中高吉
明治四十五名 反布伊蔵外八名(以下略)
なお現在の培本農場は明治三十一年に開拓されているが、原野の境界と思われる東十線附近までは基盤は岩石で今でも田圃や畑の中は大きな石が顔を出している。
開拓に関する記事は町史に登載されているが特に注目される事は、明治三十年当時今の斜線道路が十勝国道として最も早く開削され、九線道路は富良野鳥沼・布部に接する様に思われた。
又駅が東九線北十七号に出来る予定と期待し、今の市街地に相当する文化の発達がこの附近に実現するものと想像していた。
しかし富良野鳥沼附近が湿地帯で西山麓の地帯にくらべて非常に施工が難しかったので鉄道は東中に伸びず西山に決定したとの事である。
(高橋寅吉記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉