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上富良野町の開拓記念日―四月十二日―

四月十二日=A今年この日を迎えて遡ること百年前の明治三十年四月十二日は、十勝岳の麓フラヌ原野に三重県団体移住者の先発隊・代表田中常次郎が率いる八人が大望の大地に辿り着いた日として語り継がれている、町の開拓記念日である。
三重県団体移住者は、明治三十年三月二十六日・北海道の新天地に開拓を志す百戸を超える四八〇人余を乗せた敦賀丸で四日市港を出帆、横浜からは北海道通いの移民船仁川丸に乗り継いで向った。この航海で大変な荒天の時化に遭い死ぬような思いの厳しい船旅を経て、四月三日小樽に上陸、ここから炭鉱鉄道の石炭を運ぶ無蓋車で歌志内に着き、先に入地していた三重県移民団体の板垣団長が迎える平岸に一旦おちつき、堅雪となった空知川沿いを逆のぼり先発隊一行は四月十二日、現西三線北二十九号に達した。
ここは樹木が少なく乾燥した原野の中に独立した楡(にれ)の木が立っており、ここから白煙を上げる十勝岳を見ることができた。一行はこの木の下で初めて腰を下ろし、新理想郷の夢を語り合い一夜を明したのである。
これらの移住者は、誰もが北海道開拓の大事業の大望を夢みて志した者ばかりではない。気候、風土の全く違う想像すらできない北の大自然の猛威の中、原始林に覆われ大空の見えない密林、或はひと度入ると出られない底なし沼の湿地帯、熊がいつ出没するか解らない、未だ人間の踏み入ったことのない土地は、流罪人が行くところだと云う世上の風聞を耳にしながら、何を好んで先祖伝来の墳墓の地を捨て、親族、知人と決別し故郷を飛び出すのかと云う声をひたすら尻目に、一向(ひたすら)新天地開拓に挑む固い信念と強い勇気の決意は並大抵ではなかったであろう。当然入植後の日日はその大望を打ち砕く試練の連続で、十勝岳爆発による未曽有の大災害には開拓以来の総てを泥流となって失い村は存亡の渕に立ったが、村民の熱い力が復興に立ち向ったのである。
この先人の偉業に対し労苦と感謝の誠を捧げ、崇高な開拓精神を受け継ぎ、郷土の発展に向い新たな決意をする日として、大正八年一行が腰を下ろした喩の木の跡地に記念碑「憩の楡」を建立し富良野発祥の地とともに記念日としたのである。
(久保栄司・三原康敬記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉