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十勝岳爆発の思い出

佐川 清男 大正四年六月八日生(七十八歳)

大正十五年五月二十四日のその日、私は十一歳で小学校五年生でした。当日は前日から雨が降り続いていて、朝からどしゃ降りの日でした。
私の家では永いしきたりで自家用味噌を造っており、雨降りでは外の仕事も出来ないため、味噌合せのため朝から多忙でした。味噌合せをしながら両親と祖母は、十勝岳の爆発の事、新聞報道の事などを話合い心配していました。ことに祖母は子供のころ別の所で爆発に遭遇した経験もあり、爆発には水が出る事は確かだと言い、その時は山へ早く逃げること、新聞では石が飛んで来ることも書いてありましたが、まず水だろうと両親に教えていたようです。
味噌合せも進み、味噌玉を切る庖丁が足りないとのことで、私は五百米程川上にある佐川正治さん宅(泥流で一家族全滅した家)に借りに行かされました。三日続きの豪雨で道路わきの崖が数ケ所も崩れ、大地そのものが揺れ動き、足元から爆発する感じです。その時私は十勝岳爆発の予感をはっきり感じたのです。庖丁を借りて家に帰り、昼頃叔父と共に川水の調査をしました。一回目は豪雨のためか赤黄色の泥水でした。二回目は午後一時半頃行いました。
川の水色は変わらなかったが、量はますます増す傾向にありました。そして三回目の午後三時頃の調査では、水は完全に灰色に変わり、もう小爆発が始まっている事を、十一歳の私にも感じる事が出来ました。
それで跳ぶように家に帰り、家族に爆発の近い事を話しました。
私の家は表の十五米程の処に道路が横切り、それを越して二十五米程で山になり、裏口からは川の上流を見通す事が出来る場所にありました。何日も前から毎日小爆発の音や、山の地鳴りと地の底から押し上げるような地響きがあったので、家族も新聞を見たりしながら今に爆発すると言ったり、地鳴りだけで終わるのではないかと毎日のように語り合ったものです。両親は爆発する事を九分通り悟り、早々と山の上に引っ越す事を考えていたようですが、毎日の大雨のため馬車で荷物を山に運ぶ事は容易でないと思っていたようです。また家族は幼児、祖母、姉が十四歳、十一歳の私の下に四人の弟と妹です。
両親はどんな思いだったかと、今だに胸の痛む思いがします。
家にとんで帰ってから一時間ほどしてから、遊びに来て居た叔父は帰り、味噌合せも終わり、一休みしている両親を見ながら私はふいと裏口に出た時です。その時私は言葉には言い表わされない状況を見たのです。それは五百米上流の庖丁を借りに行った
佐川正治さんと、その下の佐川正七さんの家が、十勝岳の泥流によってどんでん返しで流れてくるのです。泥流と共に流れて来た大木の山に、アッという間につぶされる瞬間でした。その凄まじさに私は、迫って来るものが何であるかを確かめる事も出来ず、唯裏口から表玄関に向かって「何か来た」と叫んで飛び出したのです。その一瞬の間に聞いた事、見た事は今だにはっきりと記憶に残っています。それは兄が俺は馬の処へ行くという声、姉が幼児・妹の泣き叫ぶのを背負った姿、何もかまわずに山へ登れとの両親の叫び声、祖母は叔母がもたもたしているのを見て、何をしていると叫びながらかばっている様子、この中で私は何もすることが出来ず、只叫び声だけ耳にして山に登りました。今だにその叫び合う声が耳に聞こえて来るようです。安全と言われていた所まで来て後を振り返りましたが、家族が追って来ているかが判りません。とにかく後から何人かが登って来た事は感じました。誰かがまた水が来る、早く登れと叫ぶ声が聞こえたので、山の上まで登らなければ安全でないと思い、夢中で更に上に登りはじめました。
その時になってようやく姉、弟、妹を連れる両親を見つける事が出来、ほっとして山へ登る足を早めました。
山の上には、両親が小麦、大麦などを作付けした四町歩程の畑が有りました。そこには作業小屋が有りましたので、ひとまずそこに入り、両親は戸口に立って遅れて来るはずの家族を待っていました。しかし一分、二分と待ちましたが、兄、祖母、叔母の三人が見当たりません。
両親はなにやら大声で叫びながら登って来た道を引き返し、山の中段まで下り長い時間狂わんばかりに呼び続けましたが、とうとう声も姿も見えませんでした。四十分程で山小屋に戻り、腰が崩れるように膝まずき、どうしよう、どうしよう、と狼狽していました。
日も暮れてきましたので、両親はひと沢向いの去年まで住んでいた家に行く事をきめました。着のみ着のまま幼児を背にして元の家に辿りつきましたが、家の中は何一つない空っぽのままでしたので、ここで少し休んだ後に近所の叔父さんの家に行きました。
叔父は何も知らなかったのか、いい気分で風呂に入っていました。その後泥流から逃れた沢の方々が、次々と叔父の家に集まり、家族の安否を気遣う者や、無事を喜び合う者の悲喜こもごもの声が入り乱れる大変な一夜となりました。
その後の事は余り記憶もありませんので、ここで終わりにしますが、私の家では逃げ遅れた祖母、兄、叔母の三人が、爆発泥流の犠牲になり、更に住家と農耕の頼りとなっていた馬も失い、路頭に迷う事になったのです。

機関誌 郷土をさぐる(第12号)
1994年2月20日印刷  1994年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉