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昔の山火事 大正十四年の新井牧場

上富良野町元助役 本間 庄吉(七十九歳)

昔の山火事の話しを御披露申し上げます。

山火事と云うと有りふれた事の様ですが、其の被害の規模によって町民の生命財産に大きな影響がありますので、此の記事を読まれた皆様も常に火の元に充分気を付けていただきたいと存じ、敢えて茲に申し上げます。
さて、話は大正十四年五月の事で、日新の新井牧場から開墾の野火が誤って山林に燃え広がり、近所の民有林を焼き、近くの国有林に拡がって遂に大山火事となったのです。

町では、町民全体に布令して一戸一人以上の出動を求めて消火隊を組織し、極力消火に努めましたが、何分にも広い山野であり、水も無く、丈余の熊笹を刈り防火線を造るのですが、これも火の廻りが早く間に合いません。次々と火に追われて逃げる方が忙しい有様で、自然鎮火を待つより外に手の施し様もありませんでした。
幸に、五月末に降雨がありましたので、一旦鎮火しましたが、五日程後に、又、再発火して、森農場、橋野農場、幸田牧場と燃え、中富良野町、富良野町と焼いて、最後に富良野町の布部川で漸く鎮火しました。これは六月二十五日でした。

この山火事で、焼失した山林原野合せて、国有林四〇〇町歩、民有林五、六〇〇町歩、幸にして国有林には完全な防火線がありましたので、この線を死守したため、一部地帯を突破されたのみで消し止める事が出来ました。
この年の山火で焼失したのは、次のとおり。

   国有林四〇〇町歩(上富良野町・中富良野・富良野市)
   民有林五、六〇〇町歩
     消火活動出場人員 延四、〇〇〇人
     燃焼日数     五十六日間

若し、この火災で、国有林に防火線が無かったら十勝岳山林一帯は丸裸になったであろうと、ぞっとします。小生も前後通じ、三十有余日、野に伏し山に休み、現場にて消火に従事しました。
思えば火災程恐ろしいものは無く、一旦発生した暁は、如何なる財産も宝も灰となってしまいます。その上、最悪の場合、生命すら失う場合があります。皆さん、お互に火を大切に致しましょう。

此の火災で、私の一番恐ろしかった事は、山加農場の林内歩道で、二米近い仔連れの大きな熊に正面衝突した事です。熊は大きな声で吠えて立ちより、突進の構えになりました。
私は身に寸鉄も帯びていません。逃げるにも毎日の過労で余力もありませんでしたが、生命には代えられません。最大の努力で約一〇〇米程逃げ、幸に熊は追って来なかったので助かりました。

余話ですが、山火事の焼け跡に、附近の農家が馬に菜種を乗せて振り播いて置き、翌年収穫して、何百俵も収入を得ていると云う事も聞きました。

かみふ物語  昭和54年12月 2日発行
編集兼発行者 上富良野町十二年生丑年会 代表 平山 寛