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昭和50年の集中豪雨

東中 池上 和子(主婦)

四年前に大きな水害にあいましたが、今でも私たちの心の片すみに残って居ります。このことについて、ちょっとペンをとらせていただきます。私たちもあの時はびっくりしましたが、もうあのときのようなことは二度とないと思っております。あの水害は部落の皆さん私たちも、ただただびっくりしました。私も子供も生れて初めてのでき事で、何からしていいやらわかりませんでした。

あれは二十二日の晩からかけて二十三日と、雨はずっと降りつづいていました。
二十四日朝零時半頃、父さんが外から帰ってきて、「小紫さんところの川の橋がこわれた。家の前を流れている用水も砂利で埋ってしまった。家に川の水が来たらこまるから、子供たちを起した方がいいな」と言うので、子供等を起したのは一時頃でした。子供たちは、「なぜ、こんな朝早く起きるの」と、二人で何回もきかれるから、「もし家に水が来たらこまるから起きなさい」というと、やっと二人とも起きてきました。
子供たちはしたくをしながら、また二人で「なぜ、こんな朝早く起きるの」と言うので、「家に水が来たらこまるからね」と、二人を納得させていました。ところが、あれは一時十分頃、「トイレに行くから」とねえちゃんが外へ出てから間もなく、家の裏の方から水がゴウゴウと流れ始めました。
私もねえちゃんを外へつれに出ましたが、もうトイレの前は水が流れ、そこで父さんが「どうした」というから「トイレに明美がおる」と言うと、「いいから、おれがつれていくから家へはいれ」と父さんにどなられました。私と美和は家の中、父さんと明美は納屋、二手にわかれてしまいました。

家の中も水が入り、家の前も水海になりました。外から父さんに、「家の中のことはいいから、二人で二階に上がり明るくなるまでおりてくるな」といわれました。二階に上る前に小紫さんからと、本家のばあちゃんとお兄さん、奥田さんから電話がありました。電話で本家のお兄さんから「いけないけれど明るくなるまで、まっているのだよ」と言われた時は、とても心強く思いました。その時はなぜ、我が家だけ川の水がくるのかなと思っていると、家の前にはゴウゴウと音を立て、泥水が流れていました。二階におっても、おちついておれなくて、「早く朝にならないかな」と、二人で朝までひたすら時間が過ぎるのを待っていました。

時間がとても長く感じているうちに、水の流れで少しづつ家はかたむいてくるし、水の流れが強く、三時近くには家の前にあったあんずの木も、ほかの大きな木もたおれてしまいました。
明るくなってから、二階の窓から二人で外を見ると、家の前と久野さんの三町近くある水田には、どろ水がゴウゴウと流れていました。朝四時半頃になって、二階の窓をあけて、父さんにはしごをかけてもらって降りました。
私たちの家は水の流れで傾き、そして家の前には大きな石、小さな石が流されてきて、どろ水は久野さんの水田に向って流れていました。私も美和も、二階から降りてきて明美と父さんの顔を見た時はほっとしました。

私たちは、自衛隊のボートで、久野さんの水田から道路に出ました。あの時は、部落の皆さんにはいろいろお世話になって、ありがとうございました。私たちの部落にあんな水害は二度とこないようにと、この文章を書きました。

私たちの部落を初め、東中にあんなことが起きないようにとねがっております。私たちは雨が降るたびに、早く川の工事をしてほしいとねがっておるところです。去年の五月初めにも雨が降って雪解けで川の水が増えた時には、夜遅くなってから上富良野から来て川を直してもらいました。
本当に二度と水害にならないように、部落の皆さんの望みですので、よろしくお願いします。

かみふ物語  昭和54年12月 2日発行
編集兼発行者 上富良野町十二年生丑年会 代表 平山 寛