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三つ子の思い出

草分 田村 嘉市(七十歳)

開拓当時の思い出を書いてほしいと頼まれましたので、三つ子の魂、百までとやらで、私の三才の時、明治四十四年の思い出を書く事にします。
私の父が明治三〇年四月十二日、三重県より三重団体の開拓者として入植してから、十五年に成りますが、私の三才の時の思い出を書いてみます。
其の当時の道はまだ細道にて、馬は居りましたが、馬車も無く、物を運ぶのはフゴと言って、稲‘藁にてタライの形に造り、吊紐を付けて天ビン棒にてかついで居りました。
当時、数人の人が共同して西二線北三〇号フラノ川の岸に水車小屋を造り、木の臼を四つ並べてコットン、コットンと搗いて居ましたので、コットリと言って居りました。
開拓十五年に成りましたので、耕地は水田に成って居りました。コットリを見によく遊びに行きました。稲はセンバンにて一束一束扱ぎ、土臼にて手で廻して摺って居りました。
平岸に母の妹が居りましたので、父と祭を見に初めて汽車に乗り、満員列車の為、立ちどうしで行きました。お正月にはイロハかるたをして遊び、私は取り札の絵を見て取りますので、賞められた事も有りました。嬉しかった事は、母から黒砂糖のかたまりを一個買い、手の平にのせてツバにてやわらげなめた事です。
恐ろしかった事は思春期のドラ猫が、ギャギャと暗いて来た事です。
家は土台付の柾葺きの屋根にて、土かべに成って居りました。開拓当時の掘立小屋は作業所として使って居ました。
三才の時の思いではまだまだ有りますが、これ位にして終ります。

かみふ物語  昭和54年12月 2日発行
編集兼発行者 上富良野町十二年生丑年会 代表 平山 寛