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日の出ダムについて

松下 金蔵 大正二年十月十日生(七十三歳)



この度上富良野町郷土をさぐる会幹事長加藤氏から日の出ダムについて寄稿をと言う御依頼がございましたが、私は土地改良区には昭和五十四年度より理事を勤めることになったこと、更にダムの工事は既に昭和四十八年度から実施されていたため当時のことは全く存じ得ないのでございますが、先輩諸氏のお話をきき又資料等によってその経過を綴らさせて頂きたいと思います。

事業の目的
上富良野自衛隊演習地は十勝岳山麓に東西八K米南北十K米併せて三十六平方K米といわれていますが当時は樹木も相当あり森林地帯でありました。
演習地となってからは実弾射撃及び車輌の走行等により場内は全く荒廃し森林密度が低下したことに依り、演習場に水源を有する各河川は降雨時には洪水となり、渇水時には甚だしく流量が減少いたしてかんがい用水の不足をきたしている状態が続きました。
このことについて草分土地改良区仲川前理事長を始め関係者は種々協議を重ねて、防衛庁へ基地周辺障害防止対策事業としてとり上げて頂くべくしばしば防衛施設局又防衛施設庁へ陳情請願をつづけていました。この甲斐が実り昭和四十年頃場内を水源とする河川の水量減に伴う防衛施設周辺対策事業に依る補償施設建設をめざし、道が障害防止対策事業として昭和四十三年度水量調査に着手、昭和四十八年に至り現在のコルコニウシュベツ川九号沢に、貯水量四十五万屯ダムを築造することに決定いたしました。
実施するに当り、水没地及びその周辺用地について特段の御理解ある協力を頂きました周辺の皆様に対し、深甚なる感謝と御礼を申し上げるものでございます。
工事の概要について
ダムの下流から取水して道営かんぱい中の沢幹線に合流させ、東幹線と西幹線を通じ関係地域に補水するものです。
一方、中の沢幹線上流からも取水しホロベツナイ水系の関係地域へ補水し、補水受益面積五一四・六ヘクタール、受益戸数二百三戸(島津地区百九十七、富原地区六戸)となっております。総事業費二十一億五千万円全額が国庫の負担で、調査時より十五ヶ年の歳月を費して昭和五十七年完成した訳でございます。
その間道の関係官、支庁の関係の方々、又町にも大変長期に亘り御協力御世話になりましたことを併せて御礼を申し上げる次第でございます。
五十六年八月の豪雨について
五十六年八月五日の豪雨で、フラヌイ川が二十六号附近堤防の一部が決壊して、上富良野町市街地の約三分の一が冠水しました。午後九時上富良野町に災害警報が発令されましたが雨は止むどころか午後に至り益々降り続きました。
当時日の出ダムの工事は堤体の盛土は完了し、管理用の道路と堤体に連結用ブロックを施工中でした。
建設事務所、作業員の宿泊所外倉庫等四棟がダムの中に建っていましたが河川が急激に増水を始めたので、改良区関係者と現場に駆けつけてみると、四棟の屋根のみが湖内に見える程でした。
水位の上昇が一応納まったのが七日の早朝で、この時にはダムはほぼ満水の状態でした。総貯水量四十五万屯、春先の貯水では満水にするに一ケ月余要するのですが、この時には僅か二日で満水になったのでした。一応ダムで急激な増水をキャッチしたため下流の農地にも洪水の被害もなく、ダム関係外の方々からもダムのお陰と一層理解を深くして頂いた次第でした。このときにはダムに直接の被害はありませんでしたが、ダムの施行業者の事務所及び作業員の宿泊所その他二棟水没したことに依り施行業者には相当の被害が出たようです。幸にしてダムに被害もなく、その後湛水試験も順調に終え、五十七年度完成五十八年度より水を使用させて頂いて居ります。
記念碑について
更にこの日の出ダム完成が、草分土地改良区改組三十周年の意義ある年に迎えたことは感無量のものがございます。このダムを計画し建設して頂いた防衛施設庁の御厚意を永久後世に伝え記念すべく、記念碑を建立いたしました。石材は自衛隊業務隊の御厚意により演習地内から無償で頂き、一個の半分推定約九十屯を草分土地改良区の庭前に、残り半分推定約八十屯を日の出ダム堤頂向いの山際に建立いたしました。
石材の搬出については当町の西村運輸社様の特段の御協力を頂いた次第です。碑正面に穂原の湖と記し、当時防衛施設庁長官塩田章殿の御揮毫を頂いた次第です。裏面碑文は当時上富良野町長和田松ヱ門殿の執筆で、次の碑文が刻まれています。
碑   文
本地区は北海道のほぼ中央に位し富良野盆地の北瑞で、十勝岳連峰を仰ぎ地勢平坦にして地味肥沃なる地帯である。
昭和三十年に上富良野演習場が新設されこの流城に水源を有する各河川の水田かんがい用水の補水対策の一環として防衛施設庁所管による防衛施設周辺整備障害防止事業で全額国庫負担により事業主体北海道農地開発部、施工は熊谷組・盛永組共同企業体により調査以来十数年の歳月と総工費二十数億円の巨費を以てこの地に建設され、ここに完成を見るに至ったのである。
よってここに防衛施設庁当局並びに関係官庁の御配慮と、用地関係者の理解協力に対し深謝申し上げ工事に携った関係各位の労苦を讃えこれを後世に伝えるために穂源の湖≠フ題字を冠し、草分土地改良区三十周年記念に当り関係者の誠意を集めてこの碑を建立するものである。
昭和五十七年十月吉日

         建立   草分土地改良区
         文    上富良野町長 和田松ヱ門書
日の出ダム記念碑除幕式
昭和五十七年十月二十六日 天候晴れ 十時挙式

 記念碑除幕式次第
  1 開式の辞  福井総務課長(司会進行役)
  2 修祓の儀  上富良野神社 生出神官
  3 除幕の儀  山崎茂敏君と松下雅美ちゃん
  4 清祓の儀  生出神官
  5 降神の儀    〃
  6 祝  詞    〃
  7 玉串奉稟  札幌防衛施設局長外  各代表 三五名
  8 昇神の儀  生出神官
  9 閉式の辞  福井総務課長

十一時滞りなく除幕式が終わる。
ダム用地提供者
  西山幸次郎  鹿俣 一海  桑田 常平  愛沢 義信  矢野 正一
  田中 敏雄  武田 高雄  田中 一米  加藤 末吉  高士 茂雄
  高田 秀雄  赤川 太作  久保 宝石
用水路関係
  西山幸次郎  長沼 敏郎  高田  剛
用水路協力者
  橋本 光春  大場 利一
土取場関係者
  桑田 俊市  桑田 政信  浦島与三之
その他協力者
  成田 善市  橋本 尚幸  稲垣  征
上協力者の方々にはそれぞれ感謝状又は記念品が贈られた。

機関誌 郷土をさぐる(第6号)
1987年8月15日印刷  1987年8月20日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一