編集後記と次号予告
編集委員長 北向 一博
昨年四月に記念する第四〇号を発行したが、年を取ってくると既に一年も経ったのかと、時の速さに驚く。子供の頃には、一日、一年があんなに長かったのに……と思うこの頃である。
例年のように、時間に急かされる編集作業になってしまい、編集委員の皆さんには、迷惑をかけてしまった。
掲載が、大作四編のみとなり、多彩性に欠けてしまったことにも、大いに反省している。
さて、表紙絵だが、なかなか決まらず、編集の合間にネットサーフィンをしている最中に、Web上で当号掲載記事にうってつけのスケッチ画を見つけた。早速、お住まい、お名前もわからないまま、メールにより連絡したところ、使用のお許しを得て、表紙を飾ることができた。
ご返事を頂いて驚いたのが、作者は東京都多摩市在住の九一歳になられる大先輩で、現在も創作活動と展示会の運営に携われているということだ。
詳しくは、巻頭の「表紙絵紹介ページ」をご覧頂きたいが、「三浦綾子記念文学館2013年9月」と題した素晴らしい彩色スケッチ画を、モノクロで使用することをお許しいただきたい。
冒頭記事は、「少女は音楽の水先案内人になりたい」と題する坂本良子(よしこ)氏による記事である。編集委員会議で「後世に語り継ぐ事業シリーズ」の候補として提案されたのが坂本氏で、芳賀美代子編集委員の口添えもあって、執筆いただけることになった。
上富良野町内で音楽教授所「セシリヤ音楽院」を経営されており、約一二〇〇名に上る音楽演奏家、愛好者を育て上げられた。今なお個人レッスンや音楽イベントの開催、音楽を通した福祉活動を行っていて、敬服した次第だ。「女には学問はいらぬ」という父親の反対を押しての音楽大学への進学など、エピソードに富んだ内容は、一挙に読み進んでしまう。
次は、「後世に語り継ぐ事業シリーズ」として、一九八三(昭和五八)年四月、久しぶりに上富良野町から北海道議会議員に立起、当選し三期を務めた平井氏について「道議会議員故平井 進〜選挙制度と地域の変遷〜」と題して、私(北向)の担当で執筆させていただいた。
実は、当会田中幹事長兼編集委員担当記事の執筆が終わり、掲載内容の著作権確認最中に支障が生じ、急遽掲載を断念した経緯がある。私編集長の不手際が大きいが、この欠落を補うために、私と後に記載の中村有秀氏執筆の「小説「泥流地帯」の著者『三浦綾子さん』と……」の記事量を意識的に増やすよう打ち合わせをしたのだが、二人とも張り切って書いた結果、二人合わせて大幅に予定記事量をオーバーしてしまった。
私は、幅出し、枝出しによる内容となったため、単純に分割するのではなく、再編集して、別記事として次号第四二号に掲載することにした。記事中、項目の接続が不自然な部分もあると思うが、この点了承してお読みいただきたい。
また、執筆に当たって収集した資料は貴重なものが多く、切り捨てることを惜しんだため、表に整理したデータが極端な小文字になり、お詫びしたい。
次は、当会編集委員三原康敬氏による「十勝岳の登山道」である。三原氏は、「十勝岳に関する文献収集」を専門分野とする「日本火山学会」の会員で、真骨頂である多数の収集収蔵文献等資料と新たな調査をもとに著作されている。
三原氏が「地元の歴史的経過と由緒ある地名とか地形の特徴について、歴史上の事実を確認する史料で確かめて一致させる必要性が不足している」と述べているように、慣習や思い込みが日常となっている場合や、起源・起因を知らずに漫然化している史実も多く、「登山道」を切り口にして、その実態に迫っている。
「そうだったのか」と膝を打つ内容が、満載されている。
最後は、郷土をさぐる会会長兼編集委員の中村有秀氏による「小説「泥流地帯」の著者『三浦綾子さん』と上富良野の関わり(その二)」である。中村氏は、「丑年会」、その後の当会「郷土をさぐる会」の発足、「泥流地帯文学碑」建立や、三浦夫妻との親交が深く、「三浦綾子文学館」のサポーターになられていることから、多数の収蔵資料と長年の人脈を基に本稿が執筆された。前号第四〇号で紙面数の都合で分割した後半を、「その二」として掲載している。
先の項にも書いたが、田中幹事長兼編集委員担当記事が事故的な事由で掲載を断念したことから、この分を埋める役割を中村氏にお願いしたのだが、本人おっしゃる「書きすぎた」結果になってしまった。
私(北向)の記事は、再編集で紙面を減らしたが、中村氏の場合は、最終章部分を分割させていただき、別記事として次号に送ることで了承いただいた。
(編集長 北向記)
次号予告 〔第四一号〕
◆かみふらの『第3回目の開拓』
◆「十勝岳噴火」の地域での伝承活動
◆蝦夷地から北海道そして上富良野 他
機関誌 郷土をさぐる(第41号)
2024年3月31日印刷 2024年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀