後世に語り継ぐ事業シリーズ
道議会議員 故 平井 進〜選挙制度と地域の変遷〜
郷土をさぐる会編集委員 北向 一博
昭和二十八年五月五日生(七十歳)
文中縦書き数字は、算用数字を単純に漢数字に置き換える表記(記数法)で、また、要所に元号年と西暦年を併記するようにしている。文中の引用、転載を除き、失礼ながら敬称を省略している。
はじめに
上富良野町(村)から北海道議会(以下「道議会」という)に送り出した議員は、過去に三名になるが、最も長い三期にわたって勤めたのが平井 進である。
選挙制度の変化と人口(有権者数)の推移に伴って選挙区が設定され、道議会議員選挙が執行されており、上富良野が含まれる選挙区は上川(支庁・総合振興局)管内の町村(郡部・後に士別市と富良野市を含む)で構成されてきた。
現在の定数は一〇〇人・任期四年で、上川管内の選挙区は郡部と市部に分けられ、直近の二〇二三(令和五)年四月九日執行の第三二回選挙では、上川郡部で定数三人、市部の定数は旭川市六人、名寄市一人の計七人、管内定数一〇人が選出された。
第一回の明治三四年八月執行の選挙は、定数三五人・任期三年で行われた。
道議会議員平井 進が誕生した背景と、この功績の一部を紐解いて、併せて、現在までの道議会議員選挙の変遷を、後世に残したいと思う。
なお、市町村、都道府県等の地方公共団体は「地方自治体」とも呼ばれ、地方自治の担い手である首長と議会議員は、住民に与えられた選挙権に基づいて、選挙をすることによって選任している。現在当たり前となっている地方自治体、住民と選挙人、選挙区などの推移をたどり、住民自治と選挙制度を考えてみる。
一 平井 進の生涯概歴
一九二三(大正一二)年一月二九日、父平井権三郎と母そよの(旧姓加藤)との四男として、上富良野村草分金子農場地区において誕生した。
上富良野尋常小学校(草分)、上富良野尋常高等小学校(市街)を卒業、一九四一(昭和一六)年職業技術養成所修業後、上富良野農会勤務から北海道農会勤務を経て、関東軍入隊.一九四六(昭和二一)年に復員して村農業会勤務、一九四八(昭和二三)年上富良野村役場に勤務、産業課長兼農業委員会事務局長、企画室長、総務課長、町教育長などを歴任し、北海道議会議員選挙に出馬するため助役就任中に退職した。
選挙に当選し、一九八三(昭和五八)年から一九九五(平成七)年まで三期一二年間、北海道議会議員として活躍した。
家庭としては、一九五一(昭和二六)年六月、吉田フミと結婚、恵まれた三女それぞれ嫁がせ、誕生した七人の孫(逝去当時)に囲まれて、悠々自適の生活を送っていた。
二〇〇六(平成一八)年、腹部に違和感を持ったことから、上富良野町立病院の診察を受けた後、紹介状を受けて同年五月、精密検査のため旭川の病院に入院し膵臓ガンと診断され、治療を続けたが、二〇〇七(平成一九)年逝去された。
掲載省略:写真 関東軍時代の平井
二 上川支庁長表彰の報道
平井助役が支庁長表彰を受けたことが、一九八二(昭和五七)年六月五日付上富良野新聞に掲載された。
平井助役が、昭和五十六年度優良職員として支庁長から表彰状と記念品が授与された旨を報道するものだった。
自治功労者及び優良職員表彰規定の趣旨により町政等の発展に貢献した功績が讃えられて顕彰されたもので、管内での受賞者は平井助役を含めて三名、受賞式は三月三十日、上川支庁大会議室に関係者が集まり行なわれたという内容である。
平井助役は、この後まもない昭和五七年七月一二日付けで選挙出馬のため辞職したことを考えると、筆者の邪推ながら、急遽設けられた花道だったのかもしれない。この表彰を報道する新聞紙面には、裏面の記者コラム「山椒(さんしょ)の実」に道議候補が決まったかのような記事がある。
いずれにせよ、平井助役は一九四八(昭和二三)年以来町職員として在職し、企画室長、総務課長、教育長の要職を歴任し、昭和五十年から七年を超えて助役の重職にあって、この間町政への寄与と地方自治振興発展に貢献したことは誰もが評価するものだった。
掲載省略:写真 三浦夫妻書斎での執筆風景
三 北海道議会議員選挙の動向
(1) 太平洋戦争以前の選挙
北海道に議会(北海道会)設置を明治政府から許されたのは、一九〇一(明治三四)になってからで、総定数三五人、上川管内からは二人が選挙された。
この後の選挙区数と定数、上川管内の歴代議員名簿は、下記「表1 北海道議会議員の選挙区と定数の推移」と「表2 上川管内道議会議員歴代名簿」を参照してもらいたいが、区・市・町村制の制度推移と密接に関連していることが判る。
これには、国が打ち出す制度は、そのまま北海道に適用されることはなく、北海道独自の制度を制定して運用されてきたという事情がある。国と同じ制度になったのは戦後になってからだ。
表1 北海道議会議員の選挙区と定数の推移 期数 任期間 年 定数 選挙区数 内上川管内の選挙区・定数 管内 市等 支庁 区・市 1期 M34(1901).08.10
-M37(1904).08.093 35 3 18 0 2 2期 M37(1904).08.10
-M40(1907).08.093 35 3 16 0 2 3期 M40(1907).08.10
-M43(1910).08.093 35 3 16 0 2 4期 M43(1910).08.10
-T02(1913).08.093 35 3 14 0 3 5期 T02(1913).08.10
-T05(1916).08.093 42 4 14 1(旭川) 3 6期 T05(1916).08.10
-T09(1920).08.094 42 4 14 1(旭川) 3 7期 T09(1920).08.10
-T13(1924).08.094 52 6 14 1(旭川) 5 8期 T13(1924).08.10
-S03(1928).08.094 55 6 14 1(旭川) 6 9期 S03(1928).08.10
-S07(1932).08.094 57 6 14 1(旭川) 6 10期 S07(1932).08.10
-S11(1936).08.094 61 6 14 2(旭川) 6 11期 S11(1936).08.10
-S15(1940).08.094 65 7 14 2(旭川) 6 12期 S15(1940).08.10
-S22(1947).04.296-8月 65 8 14 2(旭川) 6 13期 @ S22(1947).04.30
-S26(1951).04.294 81 15 14 3(旭川) 7 14期 A S26(1951).04.30
-S30(1955).04.294 93 15 14 3(旭川) 8 15期 B S30(1955).04.30
-S34(1959).04.294 93 17 14 3(旭川) 8 16期 C S34(1959).04.30
-S38(1963).04.294 99 23 14 3(旭川),1(士別),1(名寄) 6 17期 D S38(1963).04.30
-S42(1967).04.294 103 27 14 4(旭川),1(士別),1(名寄) 6 18期 E S42(1967).04.30
-S46(1971).04.294 105 29 14 5(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 5 19期 F S46(1971).04.30
-S50(1975).04.294 105 29 14 5(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 5 20期 G S50(1975).04.30
-S54(1979).04.294 105 31 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 4 21期 H S54(1979).04.30
-S58(1983).04.294 105 31 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 22期 I S58(1983).04.30
-S62(1987).04.294 110 31 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 23期 J S62(1987).04.30
-H03(1991).04.294 110 38 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 24期 K H03(1991).04.30
-H07(1995).04.294 110 38 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 25期 L H07(1995).04.30
-H11(1999).04.294 110 38 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 26期 M H11(1999).04.30
-H15(2003).04.294 110 36 14 6(旭川),1(士別),1(名寄),1(富良野) 3 27期 N H15(2003).04.30
-H19(2007).04.294 110 36 14 6(旭川),1(名寄),1(富良野) 3 28期 O H19(2007).04.30
-H23(2011).04.294 106 34 15 6(旭川),1(名寄),1(富良野) 3 29期 P H23(2011).04.30
-H27(2015).04.294 104 31 15 6(旭川),1(名寄) 3 30期 Q H27(2015).04.30
-H31(2019).04.294 101 31 15 6(旭川),1(名寄) 3 31期 R H31(2019).04.30
-R05(2023).04.294 100 31 15 6(旭川),1(名寄) 3 32期 R R05(2023).04.30
-R05(2023).04.294 100 31 15 6(旭川),1(名寄) 3 ※ 期数欄の丸付数字は戦後の普通選挙による回数
表2 上川管内道議会議員歴代名簿 選挙区 第1期M34〜 第2期M37〜 第3期M40〜 第4期M43〜 第5期T02〜 第6期T05〜 第7期T09〜 第8期T13〜 第9期S03〜 第10期S07〜 第11期S11〜 上 川 友田文次郎 浜田和三郎 友田文次郎 友田文次郎 萱津 琴二 菅原 大音 村上 元吉 村上 元吉辞 村上 元吉 村上 元吉 村上 元吉 武市 清行 中島民二郎 内田 瀞 三浦 繁八 田中 茂韶 太田竜太郎 島田長太郎 林 路一 林 路一補 反橋 信一 反橋 信一 木原太三治 浅川 浩 玉井 揆一 水上 政治 佐々木利助 松本六太郎 松本六太郎 近藤 豊吉 近藤 豊吉 近藤 豊吉辞 松浦周太郎 安達利三郎 新井 鬼司 山下半太郎 太田鉄太郎 太田鉄太郎 太田鉄太郎 山下 甚蔵 菅原 太吉 高橋日出男 宮川理三郎 安達利三郎補 安達利三郎 旭 川
区・市友田文次郎 友田文次郎 斎藤弥三郎 松家円次郎 田中喜代松 前田 善治 田中喜代松辞 竹内 武夫 前野与三吉 高瀬 恰補 選挙区 第12期S15〜 第13期S22〜 第14期S26〜 第15期S30〜 第16期S34〜 第17期S38〜 第18期S42〜 第19期S46〜 第20期S50〜 第21期S54〜 第22期S58〜 上 川 武田信之助辞 本多 吉江 本多 吉江 本多 吉江死 大方 春− 大方 春一 大方 春一 反橋 信一 武田 治作 武田 治作 武田 治作補 西尾 六七 西尾 六七 西尾 六七 西尾 六七 西尾 六七 高橋日出男 石川 清一 秋山孝太郎 秋山孝太郎 黒松 秀夫 黒松 秀夫 黒松 秀夫 村上 彜明 村上 彜明 村上 彜明 平井 進 太田鉄太郎辞 乾雄 次郎 笠井 幸衛 大石 利雄 大石 利雄 大石 利雄 大石 利雄 大石 利雄 渋谷 澄夫 渋谷 澄夫 渋谷 澄夫 明田 儀一召 渡辺 秀次 若林 次郎 桶谷 利男 桶谷 利男 桶谷 利男 桶谷 利男 松浦徹太郎
補→無佐藤 初吉 佐藤 初吉 深山 和圀 久米 義滞 西野 実 西野 実 田中 三治 村上貞次郎 黒松 秀夫 奥野 善造 奥野 善造 松本六太郎
無→補→辞田呂 善作 田呂 善作死 嶋田 清一 笠井 幸衛 笠井 幸衛 島田 清一補 旭 川
区・市前野与三吉 山本英一辞 林 謙二 林 謙二 林 謙二 林 謙二 林 謙ニ 林 謙ニ 野村 権作 野村 権作 野村 権作 高瀬 恰 斎藤 藤吉 舟木 侃 舟木 侃 岡嶋保二郎 青木 力 青木 力 青木 力 舟山 広治 舟山 広治 舟山 広治 林 謙二補 清水 三俊 山本 英一 千葉 大作 新谷 市造 新谷 市造 藤井 猛 藤井 猛 藤井 猛 藤井 猛 佐藤 幹夫 佐藤 幹夫 佐藤 幹夫 佐藤 幹夫 佐藤 幹夫 今津 寛 笠井 幸衛 笠井 幸衛 青木 延男 青木 延男 青木 延男 工藤 啓二 工藤 啓二 工藤 啓二 士別市 秋山孝太郎死 田苅子政太郎 田苅子政太郎 田苅子政太郎 田苅子政太郎 大野 忠義 中西 秀利補 中西 秀利 名寄市 深山 和圀 深山 和圀 深山 和圀 深山 和圀 深山 和圀 伊藤 弘 伊藤 弘 富良野市 奥野 善造 奥野 善造 岡本栄太郎 岡本栄太郎 操上 良宏 選挙区 第23期S62〜 第24期H03〜 第25期H07〜 第26期H11〜 第27期H15〜 第28期H19〜 第29期H23〜 第30期H27〜 第31期H31〜 第32期R05〜 上 川 西尾 六七 明田 辰義 明田 辰義 矢野 制光 佐々木隆博 北口 雄幸 北口 雄幸 北口 雄幸 北口 雄幸 北口 雄幸 平井 進 平井 進 竹内 英順 竹内 英順 竹内 英順 竹内 英順 竹内 英順 竹内 英順 竹内 英順 今津 寛史 渋谷 澄夫 渋谷 澄夫 渋谷 澄夫 田渕 洋一 田渕 洋一 田渕 洋一 本間 勲 本間 勲 本間 勲 水間 健太 旭 川
区・市菅原 功一 菅原 功一 加藤 礼一 加藤 礼一 加藤 礼一 加藤 礼一 加藤 礼一 加藤 礼一 松本 将門 木下 雅之 舟山 広治 舟山 広治 舟山 広治 三井あき子 三井あき子 三井あき子 三井あき子 三井あき子 笠木 薫辞 藤井 猛 藤井 猛 藤井 猛 東 国幹 菅原 範明 東 国幹 東 国幹 東 国幹 東 国幹辞 今津 寛 萩原 信宏 萩原 信宏 萩原 信宏 真下 紀子 真下 紀子 真下 紀子 真下 紀子 真下 紀子 真下 紀子 青木 延男 青木 延男 青木 延男 木村 峰行 木村 峰行 木村 峰行 木村 峰行 安住 太伸 安住 太伸 安住 太伸 工藤 啓二 工藤 啓二 荒島 仁 荒島 仁 荒島 仁 荒島 仁 吉井 透 吉井 透 寺島 信寿 寺島 信寿 林 祐作補 林 祐作 宮崎アカネ補 宮崎アカネ 士別市 佐々木隆博 佐々木隆博 佐々木隆博 佐々木隆博 名寄市 五十嵐 勝 加藤 和久 加藤 和久 加藤 唯勝 加藤 唯勝 加藤 唯勝 中野 秀敏 中野 秀敏 中野 秀敏 中野 秀敏 富良野市 岡本栄太郎 岡本栄太郎 本間 勲 本間 勲 本間 勲 本間 勲 無:当選無効、辞:辞職、死:死亡、補:補欠選挙、召:戦時召集
(2) 終戦後の選挙
戦争以前の選挙人(有権者)は男性に限り、かつ納税額や財産の状況によって区分されていたが、戦後の連合軍総司令部(GHQ)が進める民主化政策により、婦人参政権が認められ、同時に納税額等の制限が撤廃され、一挙に選挙権が拡充された。
人々の富裕は関係なく、人口数のみが選挙結果に反映されるようになった。人口の増減が、選挙区と定数の設定に大きく影響するようになったため、頻繁に選挙制度が改正されてきた。
人口の増加により、村が町に、町が市に、また分町村が進んだが、一転して国が進める市町村合併施策によって、合併の結果による市町の誕生が相次いだ。この流れは、下記の「表3 全国市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴」「表4―1と2 道内市町村数の変遷一覧表」を参照願いたい。
年月 | 市 | 町 | 村 | 計 | 備考 |
明治21年 | − | -71,314 | 71,314 | ||
「明治の大合併」 近代的地方自治制度である「市制町村制」の施行に伴い、町村合併標準提示に基づき、 約300〜500戸を標準規模として全国的に行われた町村合併。町村数は約5分の1に。 |
|||||
明治22年 | 39 | -15,820 | 15,859 | 市制町村制施行(明治22年4月1日) (明治21年4月17日 法律第 1号) |
|
大正11年 | 91 | 1,242 | 10,982 | 12,315 | |
昭和20年10月 | 205 | 1,797 | 8,518 | 10,520 | |
昭和22年 8月 | 210 | 1,784 | 8,511 | 10,505 | 地方自治法施行 (昭和22年5月3日 法律第67号) |
昭和28年10月 | 286 | 1,966 | 7,616 | 9,868 | 町村合併促進法施行 (昭和28年10月1日 法律第 258号) |
「昭和の大合併」 昭和28年の町村合併促進法(第3条「町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを 標準」)及びこれに続く昭和31年の新市町村建設促進法により、「町村数を約3分の1に減少することを目途」と する町村合併促進基本計画(昭28年10月30日 閣議決定)の達成を図ったもの。約8000人という数字は、新制 中学校1校を効率的に設置管理していくために必要と考えられた人口。昭和28年から昭和36年までに、市町村 数はほぼ3分の1に。 |
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昭和31年 4月 | 495 | 1,870 | 2,303 | 4,668 | 新市町村建設促進法施行 (昭和31年6月30日 法律第 164号) |
昭和31年 9月 | 498 | 1,903 | 1,574 | 3,975 | 町村合併促進法失効 (昭和31年9月30日) |
昭和36年 6月 | 556 | 1,935 | 981 | 3,472 | 新市町村建設促進法一部失効 (昭和36年6月29日) |
昭和37年10月 | 558 | 1,982 | 913 | 3,453 | 市の合併の特例に関する法律施行 (昭和37年5月10日 法律第 118号) |
昭和40年 4月 | 560 | 2,005 | 827 | 3,392 | 市町村の合併の特例に関する法律施行 (昭和40年3月29日 法律第 6号) |
昭和50年 4月 | 643 | 1,974 | 640 | 3,257 | 市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律 施行(昭和50年3月28日 法律第 5号) |
昭和60年 4月 | 651 | 2,001 | 601 | 3,253 | 市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律 施行(昭和60年3月30日 法律第14号) |
平成 7年 4月 | 663 | 1,994 | 577 | 3,234 | 市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律 施行(平成7年3月29日 法律第50号) |
平成11年 4月 | 671 | 1,990 | 568 | 3,229 | 地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する 法律一部施行(平成11年7月16日 法律第87号) |
平成14年 4月 | 675 | 1,981 | 562 | 3,218 | 地方自治法等の一部を改正する法律一部施行 (平成14年3月30日 法律第4号) |
平成16年 5月 | 695 | 1,872 | 533 | 3,100 | 市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律 施行(平成16年 5月26日 法律第58号) |
平成17年 4月 | 739 | 1,317 | 339 | 2,395 | 市町村の合併の特例等に関する法律施行 (平成16年 5月26日法律第59号) |
平成18年 3月 | 777 | 846 | 198 | 1,821 | 市町村の合併の特例に関する法律経過措置終了 |
平成22年 4月 | 786 | 757 | 184 | 1,727 | 市町村の合併の特例等に関する法律の一部を改正する法 律施行(平成22年3月31日 法律第10号) |
平成26年 4月 | 790 | 745 | 183 | 1,718※ | ※北方領土の6村で1,724となる。 |
町から市 | 村から町 | 分町 | 分村 | 合併された町 | 合併された村 | 市 | 町 | 村 | 計 | |
昭和22年2月11日 | 網走 | 東藻琴 | 11 | 59 | 203 | 273 | ||||
昭和22年7月1日 | 当別 沼田 豊浦 弟子屈 | 11 | 63 | 199 | 273 | |||||
昭和22年9月1日 | 中札内 更別 | 11 | 63 | 201 | 275 | |||||
昭和22年10月1日 | 留萌 | 滝上 枝幸 今金 | 12 | 65 | 198 | 275 | ||||
昭和23年4月1日 | 苫小牧 | 若佐 | 13 | 64 | 199 | 276 | ||||
昭和23年10月1日 | 雄武 苫前 | 13 | 66 | 197 | 276 | |||||
昭和24年1月1日 | 上砂川 | 13 | 67 | 197 | 277 | |||||
昭和24年4月1日 | 稚内 | 栗沢 遠別 栗山 | 14 | 69 | 194 | 277 | ||||
昭和24年8月20日 | 朝日 忠類 | 14 | 69 | 196 | 279 | |||||
昭和24年10月10日 | 鳥取 | 14 | 68 | 196 | 278 | |||||
昭和24年11月1日 | 沓形 中頓別 | 14 | 70 | 194 | 278 | |||||
昭和24年12月1日 | 下川 | 14 | 71 | 193 | 278 | |||||
昭和25年1月1日 | 中標津 置戸 | 14 | 73 | 191 | 278 | |||||
昭和25年4月1日 | 美唄 | 西足寄 | 15 | 73 | 190 | 278 | ||||
昭和25年7月1日 | 白石 | 15 | 73 | 189 | 277 | |||||
昭和25年9月1日 | 狩太 奈井江 | 15 | 75 | 187 | 277 | |||||
昭和25年11月1日 | 白糠 由仁 標茶 常呂 | 15 | 79 | 183 | 277 | |||||
昭和26年4月1日 | 幌別 女満別 興部 大樹 三石 恵庭 | 15 | 85 | 177 | 277 | |||||
昭和26年8月1日 | 上富良野 | 15 | 86 | 176 | 277 | |||||
昭和26年11月1日 | 訓子府 浜頓別 手稲 | 15 | 89 | 173 | 277 | |||||
昭和27年1月1日 | 長沼 和寒 | 15 | 91 | 171 | 277 | |||||
昭和27年2月11日 | 妹背牛 | 15 | 92 | 170 | 277 | |||||
昭和27年4月1日 | 様似 門別 | 15 | 94 | 168 | 277 | |||||
昭和27年5月5日 | 江別乙 | 15 | 95 | 167 | 277 | |||||
昭和27年7月1日 | 喜茂別 | 15 | 96 | 166 | 277 | |||||
昭和27年8月1日 | 追分 | 15 | 96 | 167 | 278 | |||||
昭和27年9月1日 | 上川 | 15 | 97 | 166 | 278 | |||||
昭和28年4月1日 | 芦別 | 月形 鵡川 佐呂間 | 16 | 99 | 163 | 278 | ||||
昭和28年7月1日 | 音更 | 16 | 100 | 162 | 278 | |||||
昭和28年8月1日 | 風連 | 16 | 101 | 161 | 278 | |||||
昭和28年9月23日 | 陸別 | 16 | 102 | 160 | 278 | |||||
昭和28年9月29日 | 上湧別 | 16 | 103 | 159 | 278 | |||||
昭和28年10月1日 | 丸瀬布 湧別 小清水 追分 東瀬棚 | 16 | 108 | 154 | 278 | |||||
昭和29年4月1日 | 浦幌 上士幌 生田原 | 16 | 111 | 151 | 278 |
合併で市 | 町から市 | 村から町 | 合併で町 | 合併で村 | 廃止 | 編入 | 市 | 町 | 村 | 計 | |
昭和29年7月1日 | 紋別 士別 |
江別 赤平 | 松前 | 松前町 大島村 上渚滑村 大沢村 小島村 上士別村 紋別町 渚滑村 士別町 多寄村 温根別村 |
20 | 107 | 143 | 270 | |||
昭和29年8月1日 | 名寄 | 名寄町 智恵文村 | 20 | 107 | 142 | 269 | |||||
昭和29年11月1日 | 白老 平取 永山 神楽 |
20 | 111 | 138 | 269 | ||||||
昭和29年12月1日 | 蘭越 | 20 | 112 | 137 | 269 | ||||||
昭和30年1月1日 | 福島 | 釧路 | 釧路村 昆布森村 福島町 吉岡村 |
20 | 112 | 135 | 267 | ||||
昭和30年1月15日 | 寿都 | 三和 | 黒松内村 熟邪村 椿岸村 寿都町 歌棄村 磯谷村 |
20 | 112 | 131 | 263 | ||||
昭和30年2月1日 | 宗谷村 | 20 | 112 | 130 | 262 | ||||||
昭和30年2月11日 | 江差 | 江差田丁 泊村 | 20 | 112 | 129 | 261 | |||||
昭和30年3月1日 | 札幌村 篠路村 琴似町 | 20 | 111 | 127 | 258 | ||||||
昭和30年4月1日 | 足寄 岩内 北桧山 |
共和 | 西足寄町 足寄村 前田村 小沢村 発足村 岩内町 島野村 東瀬棚町 大櫓村 |
太田村 天売村 茂別村 神居村 大津村 江丹別村 |
20 | 111 | 116 | 247 | |||
昭和30年7月20日 | 大成 | 久遠村 貝取潤村 | 20 | 111 | 115 | 246 | |||||
昭和30年8月1日 | 清里 | 20 | 112 | 114 | 246 | ||||||
昭和31年4月1日 | 名寄 | 21 | 111 | 114 | 246 | ||||||
昭和31年9月15日 | 利尻 | 沓形町 仙法志村 | 21 | 111 | 113 | 245 | |||||
昭和31年9月20日 | 礼文 | 香深村 船泊村 | 21 | 111 | 112 | 244 | |||||
昭和31年9月30日 | 積丹 富良野 佐呂間 |
東利尻 島牧 |
鬼脇村 東島牧村 鴛泊村 若佐村 美国町 人駒村 余別村 富良野町 東山村 佐呂間町 西島牧村 |
萩伏村 鬼鹿村 相内村 御影村 |
21 | 111 | 102 | 234 | |||
昭和32年1月1日 | 大野 七飯 早来 阿寒 新十津川 |
21 | 116 | 97 | 234 | ||||||
昭和32年4月1日 | 三笠 | 川西村 大正村 落部村 | 22 | 115 | 94 | 231 | |||||
昭和32年8月1日 | 根室 | 根室町 和田村 | 23 | 114 | 93 | 230 | |||||
昭和33年1月1日 | 標津 | 23 | 115 | 92 | 230 | ||||||
昭和33年4月1日 | 当麻 | 塩谷村 | 23 | 116 | 90 | 229 | |||||
昭和33年7月1日 | 千歳 滝川 砂川 歌志内 |
27 | 112 | 90 | 229 | ||||||
昭和34年1月1日 | 三和 豊富 音別 幌泉 |
27 | 116 | 86 | 229 | ||||||
昭和34年4月1日 | 南茅部 | 臼尻村 尾札部村 | 歯舞村 焼尻村 | 27 | 116 | 84 | 227 | ||||
昭和34年5月1日 | 27 | 116 | 83 | 226 | |||||||
昭和34年8月15日 | 東旭川 東川 | 27 | 118 | 81 | 226 | ||||||
昭和34年9月1日 | 南茅部 礼文 幌加内 鹿追 東利尻 秩父別 |
27 | 124 | 75 | 226 | ||||||
昭和35年1月1日 | 厚真 | 27 | 125 | 74 | 226 | ||||||
昭和35年9月1日 | 浦臼 幌延 | 27 | 127 | 72 | 226 | ||||||
昭和36年4月1日 | 永山町 | 27 | 126 | 72 | 225 | ||||||
昭和36年5月1日 | 豊平町 | 27 | 125 | 72 | 224 | ||||||
昭和36年8月1日 | 愛別 羅臼 | 27 | 127 | 70 | 224 | ||||||
昭和36年9月1日 | 北竜 雨竜 新冠 端野 |
27 | 131 | 66 | 224 | ||||||
昭和37年1月1日 | 亀田 朝日 歌登 剣淵 穂別 比布 壮瞥 |
27 | 138 | 59 | 224 | ||||||
昭和37年5月1日 | 多度志 南幌 熊石 京極 |
27 | 142 | 55 | 224 | ||||||
昭和37年11月1日 | 日高 士幌 | 27 | 144 | 53 | 224 | ||||||
昭和38年3月10日 | 厚沢部 | 27 | 145 | 52 | 224 | ||||||
昭和38年5月1日 | 深川 | 深川 一巳 音江 納内 | 28 | 144 | 49 | 221 | |||||
昭和38年8月1日 | 浜中 | 28 | 145 | 48 | 221 | ||||||
昭和38年8月15日 | 東旭川町 | 28 | 144 | 48 | 220 | ||||||
昭和39年5月1日 | 中川 中富良野 |
28 | 146 | 46 | 220 | ||||||
昭和39年11月1日 | 尻岸内 仁木 | 28 | 148 | 44 | 220 | ||||||
昭和40年1月1日 | 山部 豊頃 | 28 | 150 | 42 | 220 | ||||||
昭和40年10月1日 | 乙部 | 28 | 151 | 41 | 220 | ||||||
昭和41年1月1日 | 奥尻 東神楽 | 28 | 153 | 39 | 220 | ||||||
昭和41年5月1日 | 富良野 | 富良野町 山部町 | 29 | 151 | 39 | 219 | |||||
昭和41年9月1日 | 小平 | 29 | 152 | 38 | 219 | ||||||
昭和41年10月1日 | 大成 | 29 | 153 | 37 | 219 | ||||||
昭和41年12月1日 | 銭亀沢村 | 29 | 153 | 36 | 218 | ||||||
昭和42年3月1日 | 上ノ国 | 手稲町 | 29 | 153 | 35 | 217 | |||||
昭和42年4月1日 | 南富良野 | 29 | 154 | 34 | 217 | ||||||
昭和42年10月1日 | 知内 | 29 | 155 | 33 | 217 | ||||||
昭和43年3月1日 | 神楽町 | 29 | 154 | 33 | 216 | ||||||
昭和43年9月1日 | 広島 | 29 | 155 | 32 | 216 | ||||||
昭和43年10月1日 | 戸井 | 29 | 156 | 31 | 216 | ||||||
昭和44年1月1日 | 東鷹栖 鷹栖 | 29 | 158 | 29 | 216 | ||||||
昭和45年4月1日 | 多度志町 | 29 | 157 | 29 | 215 | ||||||
昭和45年8月1日 | 登別 | 30 | 156 | 29 | 215 | ||||||
昭和45年9月1日 | 砂原 | 30 | 157 | 28 | 215 | ||||||
昭和45年11月1日 | 恵庭 | 31 | 156 | 28 | 215 | ||||||
昭和46年3月2日 | 東鷹栖町 | 31 | 155 | 28 | 214 | ||||||
昭和46年4月1日 | 滝川 | 共和 別海 | 滝川市 江部乙町 | 31 | 156 | 26 | 213 | ||||
昭和46年11月1日 | 亀田 | 32 | 155 | 26 | 213 | ||||||
昭和47年4月1日 | 伊達 | 33 | 154 | 26 | 213 | ||||||
昭和48年12月1日 | 亀田市 | 32 | 154 | 26 | 212 | ||||||
昭和55年4月1日 | 釧路 | 32 | 155 | 25 | 212 | ||||||
昭和58年12月1日 | 鹿部 | 32 | 156 | 24 | 212 | ||||||
平成08年9月1日 | 北広島 石狩 | 34 | 154 | 24 | 212 | ||||||
平成16年12月1日 | 椴法華村 戸井町 南茅部町 恵山町 |
34 | 151 | 23 | 208 | ||||||
平成17年4月1日 | 森 | 森町 砂原町 | 34 | 150 | 23 | 207 | |||||
平成17年9月1日 | 士別 | せたな | 士別市 朝日町 大成町 瀬棚町 北檜山町 |
34 | 147 | 23 | 204 | ||||
平成17年10月1日 | 八雲 遠軽 | 八雲町 熊石町 生田原町 遠軽町 丸瀬布町 白滝村 |
厚田村 浜益村 | 34 | 144 | 20 | 198 | ||||
平成17年10月11日 | 釧路 | 釧路市 阿寒町 音別町 | 34 | 142 | 20 | 196 | |||||
平成18年2月1日 | 北斗 | 上磯町 大野町 | 35 | 140 | 20 | 195 | |||||
平成18年2月6日 | 忠類村 | 35 | 140 | 19 | 194 | ||||||
平成18年3月1日 | 日高 | 日高町 門別町 | 大滝村 | 35 | 139 | 18 | 192 | ||||
平成18年3月5日 | 北見 | 北見市 端野町 留辺薬町 常呂町 |
35 | 136 | 18 | 189 | |||||
平成18年3月20日 | 枝幸 | 枝幸町 歌登町 | 35 | 135 | 18 | 188 | |||||
平成18年3月27日 | 名寄 | 洞爺湖 安平 むかわ |
名寄市 風連町 虻田町 洞爺村 早来町 追分町 鵡川町 穂別町 |
北村 栗沢町 | 35 | 131 | 16 | 182 | |||
平成18年3月31日 | 大空 新ひだか |
東藻琴村 女満別町 静内町 三石町 |
35 | 130 | 15 | 180 | |||||
平成21年10月5日 | 湧別 | 上湧別町 湧別町 | 35 | 129 | 15 | 179 |
四 上川管内の道議会議員選挙区の変遷
「表1」「表2」に見るように、市制の施行により、一九一三(大正二)年選挙に旭川市、一九五九(昭和三四)年選挙に士別市・名寄市、一九六七(昭和四二)年選挙に富良野市が市部選挙区に加わり、上川管内選挙区と市部選挙区の定数バランスが変化を続けてきた。
この背景には、管内市町村人口の増減だけではなく、市部が近接町村を吸収合併する傾向が続き、人口が市部に集中する一方で町村の過疎化が進んできた実態がある。
上川管内に絞り、戦前一九三五(昭和一〇)年、一九四〇(昭和一五)年の市町村国勢調査人口と、合併等の動きを示したのが「表5 昭和10・15年国勢調査人口と現在までの経過」、戦後一九五〇(昭和二五)年から直近の二〇二〇(令和二)年までの市町村別の人口変動を示したのが「表6 上川管内市町村の国勢調査人口推移」で、過疎と集中の傾向が一目できる。「表6」の統計処理や国勢調査の実施について、末尾「表7」下欄に説明を加えたので参照願いたい。
名称 | S10人口 | S15人口 | 現在への経過 |
東鷹栖村 | 8,633 | 8,768 | S46旭川市へ |
鷹栖村 | 9,594 | 9,019 | S44町制 |
江丹別村 | 2,725 | 2,375 | S30旭川市へ |
東旭川 | 15,322 | 14,905 | S38旭川市へ |
神楽村 | 15,202 | 16,485 | S43旭川市へ |
神居村 | 4,742 | 4,679 | S30旭川市へ |
永山村 | 7,300 | 7,078 | S36旭川市へ |
当麻村 | 9,757 | 9,411 | S33町制 |
比布村 | 7,218 | 7,127 | S37町制 |
愛別村 | 8,467 | 8,494 | S36町制 |
上川村 | 6,438 | 8,025 | S27町制 |
東川村 | 8,530 | 9,036 | S34町制 |
美瑛村 | 15,940 | 15,375 | S15町制 |
上富良野村 | 11,092 | 11,335 | S26町制 |
中富良野村 | 9,165 | 9,223 | S39町制 |
富良野町 | 15,951 | 15,810 | S41市制 |
山部村 | 9,308 | 4,641 | S41富良野市へ |
東山村 | 4,814 | S15山部村からS41富良野市へ | |
南富良野村 | 6,094 | 6,439 | S42町制 |
占冠村 | 2,162 | 2,298 | |
和寒村 | 9,932 | 9,837 | S27町制 |
剣淵村 | 9,083 | 9,495 | S37町制 |
温根別村 | 4,709 | 4,441 | S29士別市へ |
士別町 | 15,516 | 15,270 | S29市制 |
上士別村 | 11,185 | 10,629 | S29士別市へ |
朝日村 | S24上士別村から分村H17士別市 | ||
多寄村 | 13,906 | 3,936 | S13多寄村から分村S29士別市 |
風連村 | 11,559 | S13多寄村から改名H17士別市 | |
名寄町 | 16,293 | 17,023 | S29町制S31市制 |
下川村 | 8,938 | 9,241 | S24町制 |
智恵文村 | 4,122 | 4,050 | S29名寄市へ |
美深町 | 11,713 | 11,314 | T12町制 |
常盤村 | 4,121 | 3,642 | S38音威子府村 |
中川村 | 6,609 | 6,403 | S39町制 |
幌加内村 | S15-13,824当時空知管内、S34町制 | ||
町村計 | 289,767 | 292,177 | |
旭川市 | 91,021 | 87,514 | |
上川管内 | 380,788 | 379,691 | H22空知管内から幌加内町編入 |
名称・項目 | H12 面積 ha |
国勢調査実施年の10月1日現在人口 | R2 面積 ha |
||||||||||||||
s25 | s30 | S35 | S40 | S45 | S50 | S55 | S60 | H2 | H7 | H12 | H17 | H22 | H27 | R2 | |||
鷹栖町 | 13,944 | 10,259 | 10,597 | 10,436 | 9,279 | 7,943 | 7,130 | 7,509 | 7,317 | 6,930 | 6,871 | 7,165 | 7,261 | 7,345 | 7,018 | 6,567 | 13,942 |
東神楽町 | 6,864 | 7,138 | 7,378 | 6,946 | 6,314 | 5,693 | 5,109 | 5,425 | 5,669 | 5,763 | 7,676 | 8,127 | 9,194 | 9,292 | 10,233 | 10,127 | 6,850 |
当麻町 | 20,495 | 13,410 | 14,226 | 13,592 | 12,622 | 11,068 | 9,986 | 9,619 | 9,044 | 8,383 | 7,893 | 7,643 | 7,473 | 7,087 | 6,689 | 6,319 | 20,490 |
比布町 | 8,729 | 8,129 | 8,516 | 8,282 | 7,698 | 6,711 | 6,118 | 5,806 | 5,457 | 5,004 | 4,683 | 4,576 | 4,340 | 4,042 | 3,777 | 3,520 | 8,690 |
愛別町 | 24,971 | 9,337 | 9,834 | 9,704 | 8,671 | 7,443 | 6,343 | 5,815 | 5,363 | 4,735 | 4,322 | 4,065 | 3,739 | 3,328 | 2,976 | 2,605 | 25,013 |
上川町 | 104,924 | 8,488 | 13,391 | 15,289 | 14,231 | 11,372 | 9,805 | 9,302 | 8,018 | 6,668 | 6,285 | 5,718 | 5,176 | 4,532 | 4,044 | 3,500 | 104,947 |
東川町 | 24,706 | 10,754 | 10,723 | 10,139 | 9,003 | 8,204 | 7,616 | 7,774 | 7,760 | 7,418 | 7,211 | 7,671 | 7,701 | 7,859 | 8,111 | 8,314 | 24,730 |
美瑛町 | 67,716 | 20,578 | 21,718 | 21,743 | 20,352 | 18,002 | 15,719 | 14,826 | 13,975 | 12,769 | 12,106 | 11,902 | 11,628 | 10,956 | 10,292 | 9,668 | 67,678 |
上富良野町 | 23,718 | 13,261 | 16,918 | 17,101 | 16,204 | 15,791 | 14,870 | 14,441 | 14,127 | 13,265 | 12,881 | 12,809 | 12,352 | 11,545 | 10,826 | 10,348 | 23,710 |
中富良野町 | 10,870 | 10,430 | 11,105 | 10,801 | 9,732 | 8,352 | 7,421 | 7,039 | 6,723 | 6,331 | 5,931 | 5,833 | 5,707 | 5,477 | 5,069 | 4,733 | 10,865 |
南富良野町 | 66,553 | 8,922 | 9,615 | 10,090 | 11,029 | 6,868 | 5,136 | 4,530 | 3,976 | 3,650 | 3,331 | 3,236 | 2,947 | 2,814 | 2,555 | 2,376 | 66,554 |
占冠村 | 57,133 | 3,072 | 3,437 | 4,705 | 3,306 | 2,848 | 1,804 | 1,601 | 2,097 | 2,721 | 2,104 | 1,873 | 1,819 | 1,394 | 1,211 | 1,306 | 57,141 |
和寒町 | 22,483 | 11,560 | 11,636 | 11,104 | 9,752 | 8,513 | 7,435 | 6,696 | 6,335 | 5,623 | 5,002 | 4,710 | 4,238 | 3,832 | 3,596 | 3,192 | 22,511 |
剣淵町 | 13,120 | 9,283 | 9,334 | 9,047 | 8,013 | 7,056 | 5,911 | 5,481 | 5,111 | 4,703 | 4,466 | 4,158 | 3,952 | 3,565 | 3,228 | 2,926 | 13,099 |
朝日町 | 52,201 | 5,557 | 6,145 | 6,754 | 6,141 | 5,101 | 3,713 | 3,133 | 2,740 | 2,408 | 2,110 | 1,926 | 士別市へ | ||||
風連町 | 22,061 | 12,573 | 13,101 | 12,321 | 10,478 | 8,839 | 7,587 | 7,190 | 6,990 | 6,418 | 5,915 | 5,568 | 名寄市へ | ||||
下川町 | 64,420 | 13,420 | 15,018 | 15,555 | 14,210 | 11,568 | 9,275 | 7,143 | 5,730 | 5,065 | 4,747 | 4,413 | 4,146 | 3,775 | 3,547 | 3,126 | 64,420 |
美深町 | 67,214 | 13,390 | 13,876 | 14,046 | 13,490 | 11,433 | 9,620 | 8,350 | 7,889 | 7,103 | 6,540 | 6,040 | 5,512 | 5,178 | 4,659 | 4,145 | 67,209 |
音威子府村(区域) | 27,564 | 4,185 | 4,107 | 3,886 | 3,970 | 2,839 | 2,552 | 2,100 | 2,068 | 1,584 | 1,480 | 1,334 | 1,070 | 995 | 832 | 706 | 27,563 |
中川町 | 59,502 | 6,937 | 7,225 | 6,591 | 6,303 | 4,736 | 4,011 | 3,559 | 3,235 | 2,788 | 2,602 | 2,464 | 2,106 | 1,907 | 1,767 | 1,528 | 59,474 |
幌加内町 | 1,952 | 1,710 | 1,525 | 1,370 | 76,704 | ||||||||||||
町村計 | 759,188 | 200,683 | 217,900 | 218,132 | 200,798 | 170,380 | 147,161 | 137,339 | 129,624 | 119,329 | 114,156 | 111,231 | 102,313 | 96,633 | 91,955 | 86,376 | 761,590 |
旭川市(区域) | 74,760 | 184,227 | 214,468 | 239,636 | 271,930 | 297,189 | 320,526 | 352,619 | 363,631 | 359,071 | 360,568 | 359,536 | 355,004 | 347,095 | 339,605 | 329,306 | 74,766 |
士別市(区域) | 59,728 | 37,356 | 39,191 | 38,951 | 36,502 | 33,044 | 30,028 | 28,970 | 27,719 | 25,754 | 24,293 | 23,065 | 23,411 | 21,787 | 19,914 | 17,858 | 111,922 |
名寄市(区域) | 31,462 | 27,475 | 33,339 | 35,859 | 36,106 | 35,035 | 35,145 | 35,032 | 34,079 | 30,776 | 28,749 | 27,760 | 31,628 | 30,591 | 29,048 | 27,282 | 53,520 |
富良野市(区域) | 60,083 | 33,520 | 34,833 | 36,516 | 36,627 | 30,876 | 29,155 | 28,499 | 27,876 | 26,665 | 26,046 | 26,112 | 25,076 | 24,259 | 22,936 | 21,131 | 60,071 |
市 計 | 226,033 | 282,578 | 321,831 | 350,962 | 381,165 | 396,144 | 414,854 | 445,120 | 453,305 | 442,266 | 439,656 | 436,473 | 435,119 | 423,732 | 411,503 | 395,577 | 300,279 |
合計 | 985,221 | 483,261 | 539,731 | 569,094 | 581,963 | 566,524 | 562,015 | 582,459 | 582,929 | 561,595 | 553,812 | 547,704 | 537,432 | 520,365 | 503,458 | 481,953 | 1,061,869 |
五 一九八〇(昭和五五)年頃の選挙区
この頃は旭川・士別・名寄・富良野の四市は単独の選挙区となっていた。
一方上川支庁管内の地理的行政区域として、和寒から中川までの北部九市町村、美瑛から鷹栖・上川までの中部九市町、上富良野から占冠までの南部五市町村の三区部に分かれて、区部内市町村では日常的に相互に交流が多い。
しかし、選挙区となると、この中から旭川市を除く市三市が誕生すると、選挙人数にバランスを欠くことになっていく。
一九五四(昭和二九)年に士別町が温根別・上士別・多寄を合併して市制に、後の二〇〇五(平成一七)年には朝日と風連を合併して現在の士別市になっている。
また、一九五四(昭和二九)年に智恵文を合併した名寄町が、一九五六(昭和三一)年に市制施行した。
南部富良野地区では、一九六六(昭和四一)年に山部町を合併して富良野市が誕生し、定数一人の市部選挙区として分離されたため、富良野市を除く上富良野・中富良野・南富良野・占冠の四町村だけでは、道議会議員を送り出すための有権者数が不足することから、美瑛町との選挙協力体制がとられるようになったものと思われる。
この時期に並行して、旭川市の人口も急速に増えたため、第一六期(通常選挙第四回)から二〇期(第五回)までの五回の選挙で旭川市選挙区定数を三人から六人へ、反して町村人口が減少したため、上川管内選挙区は第一五期(第三回)から第二一期(第九回)までの七回の選挙で定数を八人から三人へと大きく減少させた。ただし、新たに誕生した三市に三人の定数が振り分けられたので、実質二人減となる。(前掲 表1参照)
六 上富良野からの道議出馬
(1) 選挙前の状況
上川選挙区の一九七九(昭和五四)年四月の統一地方選挙の結果、定数三人の現職議員は次のようになっていた。
西尾六七(自民・明治四二年生れ・美深町)
得票 二八八一四 一九六七(S四二)〜四期目
村上彜明(のりあき)(自民・明治四三年生れ・美瑛町)
得票 二二一八七 一九七一(S四六)〜三期目
渋谷澄夫(社会・昭和 六年生れ・和寒町)
得票 二〇六四一 一九七五(S五〇)〜二期目
一九八三(昭和五八)年四月の選挙時点で、西尾は七四歳、村上は七三歳になることから進退が噂に上っており、結果として村上は今期限りで勇退して不出馬となった。西尾は当期議長に就いており、一九九一(平成三)年まで二四年六期を務めた。
(2) 上富良野からの候補者
美瑛町の村上彜明道議の勇退の意向により、上富良野町からの立候補について、にわかに具体化の調整が行われたようだ。
この様子は、地元紙「上富良野新聞」に報道され、また、未確認の動向は主任記者のコラム「山椒の実」に掲載された。
当時の様子がわかるので、以降、随時時系列で上富良野新聞の関係記事を抜粋する。
・1981(S56)02・15 「山椒の実」抜粋
――話は変るが、自民党支部を中心として、次期道議会議員選挙に町内から候補者を立て、町内から道議会議員をと云う町民の夢の実現を目指して色々と話し合いが進められているようであるが、一部の人達からの噂では候補が決まったような話が伝わって来る。
どの様な経過かは知らないが大分話が進行しているようにも聞こえるが、別の方面からの話では、逆方向に向いているのではないかと思われるような説明をする人もいるようで、山椒子(さんしょし)としてもなかなか実体は掴みにくい。
噂が噂を呼んで、疑心暗鬼になって町内が混乱したり、反発しあうような事態は絶対に避けてほしいものであり、慎重にそして正々堂々と進めてほしいものである。――
・1981(S56)11・15 「山椒の実」抜粋
――町内から道会議員を出そうと色々な動きもあったようであるが、これもどうやら空振りに終ってしまいそうであり、残念なことではあるが現状では致し方ないとあきらめざるを得ないようである。――
・1982(S57)02・25 「山椒の実」抜粋
――昨年後半から自民党上富良野支部を中心に次期道議選に町内から候補者を出そうとの動きは、ようやく最終段階に入ったようである。
明年四月に予定されている道議会議員選挙の自民党の第一次公認発表は四月に予定されており、三月五日が公認申請の期限となっているようで、それまでにまとめられるかどうか注目されている。
村上のり明氏は、十三日に開かれた同氏後援会連合会総会の席上で正式に次期選挙には立候補しない旨の表明を行ない、総会はこれを了承し、先に自民党美瑛支部と上富良野支部とで話し合い、再確認をしたと見られている。
町内では、道議会議員現職の後援会、国会議員の後援会などの代表による候補者推薦やその進め方について話合いが行われることになっているようである。
行政に関連する人達は勿論のことであるが、多くの町民は、町内から道議をとの願望を持っているが、いざ町内からとなると色々と支障が出て話しがこわれてしまうのが上富良野パターン、この機会を逃してしまうと十数年間は、また、よその町村の先生にお願いすることになってしまう。――
・1982(S57)03・05 「山椒の実」抜粋
――道議会選挙も町内から候補者との動きでこれまた大変なこと、―中略―農協も商工会も今年は役員の選挙期、どんな顔ぶれになるのかと話題は多いようであり、景気が悪いことが町民の顔をくもらせているのが一番大きな問題ともなっているように見える。――
一九八三(昭和五八)年四月に予定される統一地方選挙まで、あと一年余りとなり、水面下で進んできた上富良野町から候補者を立てる下準備が整い、自由民主党上富良野支部が中心になって後援会が組織されることになった。
しかし、問題は候補者選びが迷走していることで、この状況を含めて記事として報道された。
・1982(S57)03・05 トップ記事抜粋
―― 町内からの道議候補
いよいよ最終的なつめ
村上のり明氏は勇退
―前略―自民党上富良野支部(酒匂佑一支部長)を中心に積み重ねられて来ていたが、ようやく最終段階を迎えているようだ。―中略―富良野沿線では、村上のり明氏が、美瑛町、上富良野町を基盤とする現職道議で―中略―自民党美瑛支部、村上道議からも勇退することが、それぞれ正式に表明され、町内の動きも急速に盛上って来ている。
自民党支部役員会の決定によって、各後援会(村上のり明道議、西尾六七道議、国会の川田正則衆議、上草義輝衆議、村上茂利衆議)代表と支部長、副支部長、幹事長による小委員会が二月下旬に行われ、一日には支部長と小委代表の清水一郎氏と和田町長、南議長、菅野組合長、一色商工会長、宇佐見村上後援会会長などによる会議が行われた。―中略―候補者には、南 藤夫氏、吉岡光明氏、小野三郎氏、菅野學氏、山本康夫氏、一色正三氏、久保儀之氏、平井進氏、荻野昭一氏らの名前が噂となって出ている。
昨年春に、自民党上富良野支部では、中富良野町、南富良野町、占冠村などの自民党支部に対して、協力要請を行ない、―中略―十二月十三日には、村上道議の四選出馬が無いことを美瑛支部は正式に表明を行った。―中略―町内から道会議員をとの声は多くなっており、行政に関連のある人達にとって非願ともいえるような問題でもあり、関係者による一層の努力が期待されているようだ。――
体制が整ったという記事から三週間ほど経つが、統一地方選挙の後の八月に上富良野町長・町議会議員選挙を控えていたため、町長・町議選挙に臨むためのそれぞれの後援会の存在もあってか、道議候補の人選を難航させたようだ。
・1982(S57)03・25 「山椒の実」抜粋
――候補者選びも難航しなかなかすんなりとは行かないようである。―中略―基本的には、町内から道会議員を出すのか出さなくて良いかという事につきるのではなかろうか。町長選挙や町議会議員選挙をからめてしまっては、まとまる事もこわれてしまうことになる。―中略―自民党の公認候補として選挙に出馬させるのであれば、この辺で、支部総会を開き総意を結集することにしたらどうだろう。――
・1982(S57)04・25「山椒の実」抜粋
――年があけてから、一番に期待されていてまとまらず、相変らずの伝統を受け継いでいるようなのが、道議会議員候補者選びである。いろいろな感情や思惑も入り混った複雑な対人関係を表に出しての行動では、なかなかまとまらない。――
・1982(S57)05・05「山椒の実」抜粋
――道議会議員の候補者えらび、上富良野にとっては絶対的なチャンスであることは変り無いはずである。新しく自民党支部長になられた一色商工会長、上富良野の首長である和田町長、ともに一丸となって町のために、もう一肌ぬいで頑張ってほしいものである。―中略―一般町民のほとんどは協力を惜しまないと思えるのに、そこまでたどりつく事が出来ないのは非常に残念なことである。――
06・05号のトップ記事が、冒頭第二項に記した「上川支庁長表彰の報道」だった。おそらく公表できないまでも、道議候補に平井進が浮上していたニュアンスが感じられる。
・1982(S57)06・05「山椒の実」抜粋
――道議候補選びも、最終段階を迎えて明るい見通しのようで、上富良野から道議選拳に出馬するのは間違いないと見られる状況となって来たようで、今まで努力を重ねて来られた関係者に対し心から御苦労様と敬意を表したい。――
残すところ一〇ケ月足らずとなって、道議選挙候補者が平井進助役に決まり、難航を積み重ねた自由民主党公認の後援体制づくりが、ようやく町民にお披露目された。合わせて、人選難航の事情も報道された。
・1982(S57)06・15 トップ記事抜粋
―― 道議会議員選挙に
平井 進氏が出馬を決意
自民党の公認を申請手続
―前略―美瑛町の村上のり明道議が、身体の不調、老齢から四選不出馬を表明してから町内では、久保儀之氏、吉岡副議長、南議長、菅野組合長などに出馬要請を行ない吉岡副議長は一旦、立起の決意を表明するところまで進展したが種々の状況から辞退となり、久保氏にまとをしぼっての折衝も行われたが久保氏もこれを固辞することになり、町内からの候補者擁立は断念せざるを得ない状況と見られるようになっていた。しかし、二日平井氏は久保氏が正式に辞退して候補者が無くなるのであれば、自分で良ければ立起したい決意を、和田町長に表明し、町長もこれを了承した。同日開かれた四者会議(町長、議長、一色商工会長、菅野組合長)で、和田町長から提案されてこれが了解され、翌日自民党支部(一色支部長)の委員長以上の役員会が急遽開かれ出席役員全員が平井氏を推薦することを決めて、早速自民党の公認申請手続きがとられることになった。
―中略―二転三転して候補者が決まらず、関心の深い町民を憂慮させていたこの問題であるが、平井氏の出馬決意によって急転し、急速に盛上りを見せている。故石川清一さん以来の道議会議員が実現出来るかどうかは、上富良野町民の協力いかんによると見られているだけに、一部役職者による運動ではなく、全町民的な組織作りと運営活動が望まれているようだ。――
(3) 助役退任と道議選立起
平井進は六月二日に立起を決意、翌三日に関係者の同意を得て候補者への道を歩み始めた。自民党公認手続きの進捗や近隣町村自民党支部との調整と並行して、六月二一日付で和田町長に退職願を提出した。地方自治法に、市町村助役は退任の二〇日以上前に市町村長の承認を受けることが規定されていて、この臨時町議会を退任日とした退任挨拶により、正式な立起の区切りとした。
平井助役退任後の後任は、残任期間が一年足らずのため和田町長が当面兼務したが、同時期に収入役を置かずに町長が兼務していたため、権能集中を危惧して一時議会は紛糾した。
・1982(S57)07・15 トップ記事要約
――十二日臨時町議会
平井助役退任挨拶
十一議案は提案通り可決
町では、十二日午後一時から臨時町議会を開き、工事請負契約案件など十一議案を提案通り可決し、六月二十一日付で提出されている平井助役の退職願いを本日限りで承認したい旨の報告が行われた。
――中略――
その後南議長から許可され、平井助役が退任の挨拶を行った。
▽助役退任挨拶(要約)
私このたび一身上の都合により、町長に辞任願を提出していたところで御座いますが、本日付を以て助役を退任させていただくことになりました。
助役に選任いただいた二期七年を省みますと、国道バイパス用地買収問題を始め幾多の難問が山積していた時で、和田町長のもと、職責の全うに努めてまいりました。
低成長期に入った昭和四十五年度以降における健全な町財政の運用に当りましては、数多くの事業と町民の要望する諸問題、遅れている環境整備、道路網の改良など町政進展の業務に参画することが出来ましたことは、終生忘れ得ぬ思い出となることと存じます。
今日まで御指導御支援をいただきました、皆様方に対し、あらためて厚く御礼を申し上げる次第であります。―中略―どうか、町議会と理事者との関係が従来にも増してより緊密に協調の実をあげられ、町の理想実現に向って、ひたすら御努力をいたされますよう誠に僭越で御座いますが心から御願い申上げる次第であります。
私は、本日をもって皆様ともお別れをしなければなりません。今日までの不行届きは幾重にもお許しを賜りまして今日までの御縁を御縁といたしまして、今後共変らぬ御交誼を賜りますよう御願い申上げます。―後略―
この後、自民党道連からの公認も決定し後援会も発足(会長和田松ヱ門)、八月に入ってから市街地の元青年研修所(現郵便局東側空き地にあった施設)で多数の後援者を集めて、後援会事務所開きが行なわれた。
(4) 後援会組織の充実と拡大
選挙へ向けた様々な準備活動の推進において、指揮センターとなる地元上富良野の後援会事務所が八月上旬に開設されて以降、統一地方選挙に関する紙面を割くような記事はしばらく途絶える。
残すところ四か月を切ろうとする一二月に入ると、地元事務所の引き締めと、町内後援会の地区支部設置、また選挙区町村の後援会の新設状況が報道された。
・1982(S57)12・15 トップ記事要約
――平井進上富良野後援会
内部の組織を強化
平井進氏の上富良野後援会では、美瑛以南の沿線後援会の結成にともない上富良野後援会の一色幹事長が沿線後援会連合会長に推挙された事もあって新幹事長に自民党副支部長の中川清氏を迎え、更に上富良野後援会長和田松ヱ門氏を強力にバックアップすることにして会長の筆頭代行に一色正三氏、代行に南藤夫氏、菅野學氏の二氏(従前通り)を確認した。
一方町外担当役員(美瑛中富以南、中央部)と町内担当役員(市街、郡部)の代表者を定め、更に事務局担当役員を加えて会長代行以下十名の役員が常時会合を開きながらより良い後援会づくりを進めることにしている。
又町内でも各区毎に支部の結成が進められていて一、二を除き全地域に支部が誕生してその名簿が後援会に届けられている。
一方町外の後援会も美瑛を皮切りに中富、南富、占冠と順調に結成されていて活発な活動に入っている模様で、最近では中央部の比布で後援会が結成され、引続き上川、鷹栖、東神楽、愛別の各町でも結成される見通しとなっている。――
一二月一五日付上富良野新聞記事で名前が出ていない後援会の各担当者は、自民党上富良野支部役員が分担したものと思われる。一九八三(昭和五八)年上富良野新聞の年賀広告を見つけたので、参考まで記載する。
【自民党上富良野支部年賀広告から】
支部長 一色正三
副支部長 辻 甚作 中川 清 高橋 忠
幹事長 岡沢孝春
副幹事長 松岡隆七 久保儀之 千葉 誠
会 計 渡辺 勲
監 査 高田秀雄 海江田博信
総務委員長 鎌倉周吉 政調委員長 多田良雄
組織委員長 長瀬勝雄 広報委員長 野口光雄
党紀委員長 小泉庸一 事務局長(兼)久保儀之
統一地方選挙期日は、道知事選告示三月十六日、道議選の告示三月二十九日で、選挙期日はいずれも四月十日に決まった。
・1983(S58)03・15 トップ記事要約
――約六百名の大集合
平井さん頑張れと決起大会
上川中央部、沿線からも約三十名の来賓
あまり目立った動きをみせなかった平井進氏の後援会は、町外での組織固めも一応終了し、三月二十九日の告示を前に町内の後援会総決起大会がこのほど福祉センター大ホールで開かれた。
町内には平井進後援会支部が二十四結成されていてそれぞれ組織固めを行なっているが、やはり地元だけにあまり目立った動きも見当らず、後援会幹部も町民の動向に幾分危惧をいだいていたようだが、総決起集会での町民の参加状況によりこの危惧もけし飛んだ格好だ。
決起集会に集まった町民は約六百名、このほか二区選出の代議士、道議、三上顕一郎氏などの代理人や、上川中央部、沿線の各役員はじめ自民党支部長らが応援にかけつけ大ホールはビッシリとうめつくされ、来賓の激励挨拶にも熱が入って予定時間を大きく上廻る一幕もあり盛会裡に終了した。
尚道知事選の告示は三月十六日、道議選の告示は三月二十九日で、選挙期日は何れも四月十日。
■寄り道余談■
現在、当時のこの選挙を取り巻く状況を、客観的に知る方法は、四〇年を経たことに加えて、記録として残されたものを見つけられなかったため、残念ながら上富良野新聞を頼ることになった。
記事を読み進める中で、かねてから思っていた不思議と不満が続出した。どういう訳なのか、5W1H「いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように」の「いつ」の情報がかけている記事が多いということである。取材をして記事にしているので、「いつ」が不明な訳はなく、「月日」ではなく「この度」「先日」「このほど」「先だって」等あえてあいまいに書かれている。上富良野新聞は、五の付く日に発行される旬刊紙なので、「おそらく一〇日以内の出来事」と推測するほかない。
話は変わるが、この選挙記事の当時、筆者は公民館内の教育委員会事務局に勤務しており、同館内の図書室(現在は図書館)業務にも僅かだが関わっていた。
購読していた道内地方紙「北海道新聞」「北海タイムス」は一週間程度綴じ込んで閲覧に供し、その後「新聞スクラップボランティアグループ」によって、上富良野関連記事を切り抜いてスクラップブックに整理していた。
また地元紙の「日刊富良野新聞(火木土週三回発行)」「上富良野新聞(月三回五の付く日発行)」は全号を綴じ込んで閲覧に供し、半年から一年程度経ったものを、収蔵用簿冊に綴り替えていたようだ。
現在地元二紙は廃刊になっており、綴られた簿冊は「郷土史料」として、上富良野町郷土館に移管して収蔵されている。
今回これを閲覧し参考にしたのだが、上富良野新聞は毎号二部(購読二部か購読一部+寄贈一部か記憶不明)あったはずだが、簿冊には欠落号が散在していた。
特に1983(S58)03・25号、04・05号、04・15号の連続三紙が欠落していた。この三紙には、道議会議員選挙告示の直前、選挙運動期間、選挙結果の記事がそれぞれ掲載されていたであろう。担当職員が綴り込みを怠るわけもないので、図書室で閲覧可能状態にあるうちに、誰かの手により抜き取られたものと考えざるを得ない。重要な史料が消滅したことになり、残念、無念の一言に尽きる。
閑話休題。
七 平井 進道議誕生
(1) 道議会議員選挙結果
道議選の告示日三月二九日には、五期目に挑む西尾六七(自民)、三期目に挑む渋谷澄夫(社会)、初当選を狙う平井進(自民)と柴山昌春(共産)の届け出があり、現職二名と新人二名の四名で、三議席を争うことになった。
難航はしたが、美瑛町の村上彜明(のりあき)道議(自民)が、身体の不調、老齢から四選不出馬を表明したことから、自民党公認候補として立起した平井は、事実上の村上後継候補として選挙区に広く認知を広めていたが、心配は後援組織の気のゆるみであった。
四月一〇日投票、即日開票結果、心配は杞憂に終わり、村上道議の前期得票と並ぶ票数を獲得して、見事に初当選の栄を得た。開票結果は次の通り。
西尾六七(自民・美深町) 三四六四七 五期
渋谷澄夫(社会・和寒町) 二五一六三 三期
平井 進(自民・上富良野町) 二三〇三九 一期
柴山昌春(共産・上川町) 二五四〇 落選
当選を果たした道議会議員による初議会が開催され、所属する委員会も決まり、任期一九八三(昭和五八)年四月三〇日から一九八七(昭和六二)年四月二九日までの四年間が始まった。
掲載省略:写真 当選を祝う会
・一九八三(S58)05・25 トップ記事要約
――平井 進氏
建設常任委員に
初道議会を終えて帰町
―前略―平井道議は、十一日から十七日までの道議会、十八日の所管委員会に出席したもので、建設常任委員会委員の所属と公害対策特別委員会委員にも決められた。
「皆さん方の暖かい御支援で当選させていただき、初の道議会に出席して参りました。所属は建設常任委員と公害対策の特別委員会委員にも選ばれました。新人で特別委員に選ばれた議員が少なく私が選ばれたのも皆様の御支援と感謝しています。今後、道に対する要望など町内皆様の声を道政に反映させてまいりますので、気軽に話していただきたいと願っています」と話していた。――
■寄り道余談■
都道府県・市町村等の地方自治体の議会は、通常年四回開催される定例(議)会と必要に応じて開催される臨時(議)会がある。定例(議)会は自治体によって開催時期が異なるが、一般的には二(または三)月、六月、九月、一一(または一二)月に、その都度会期を決めて開催される。
議員全員が出席する定例会と臨時会を合わせて本会議といい、会期は開催初日(開会日)から最終日(閉会日)までの通算日数で、会期は本会議開催初日の最初に議決することで決定する。この会期中に休会日を入れて、実質数日間で開催されるのだが、休会中や本会議の合間に委員会が開催される。
この委員会は、議案が多数に及んだり、特殊な内容の場合、本会議に挙げられた議案を常任委員会や特別委員会に審議を任せて(付託)、この委員会での結果を本会議に報告して、議決する経過を執る。広範多数の議案を、全員出席の本会議で審議するとしたら、会期が何日あっても不足する場合(審議未了)もあり、委員会への案件付託は議会運営上の重要な仕組みとなっている。
委員会は、通常任期二年で常設する常任委員会と、必要に応じてその都度設置する特別委員会がある。
常任委員会は全議員が分担して所属するもので、例として議員定数が五〇人で常任委員会数が五の場合、議員を五分割して定数一〇人というように条例で予め定めてあり、通常は選挙後の初議会で議長が会議に諮って指名し、各常任委員会に割り当てる。
一方、特別委員会は条例に規定するもの以外は、その都度、設置、定数、任期を議決して決定し、委員は会議に諮って議長が指名する。
常任委員会の委員は、重複することはないため、全常任委員会を同時に開催できるが、常任委員会と特別委員会の委員は必ず重複するので、招集開催日程の調整が必要になる。
更に、常任委員会に準ずるものとして、各常任委員会の委員長等による議会運営委員会が常設される。
なお、言葉は悪いが、アリバイ的(喫緊の課題ではないが、問題意識をもって審議を継続している等)に設置されている特別委員会は少なくない。翻って言えば、多くの議員の名刺に記載されている所属委員会の羅列は、ステータスとしての役割を果たしている場合もある。
各議員は議会内で会派に所属するが、会派内でも役職がある。また、所属する政党における役職もあり、議会歴、職歴にこの肩書も併記されると、二〇前後も並ぶ場合もあり、何が何だかわからない、ということもあり得る。
閑話休題。
(2) 道議会の委員会
前項「寄り道余談」で地方議会に設置される委員会について触れたが、北海道議会ではどのような委員会が設置されていたのか見ると、その時の道内の政治・経済・産業等の状況がうかがい知れる。平井道議が在席中の委員会の状況は、「表7道議会第22〜24期設置委員会一覧」に、 平井道議が在席した委員会は、「表8平井道議在席中の所属委員会」のようになっている。
掲載省略:写真 予算委員長として理事者と協議
第22期 | 第23期 | 第24期 | |||
常設 | 議会運営 | 議会運営 | 議会運営 | ||
常 任 委 員 会 |
総 務 | 総 務 | 総 務 | ||
厚 生 | 厚 生 | 生活福祉 | 生活福祉 | ||
生活環境林務 | 生活環境林務 | 保健環境 | 保健環境 | ||
商工労働 | 商工労働 | 商工労働観光 | 商工労働観光 | ||
農 務 | 農務農地開発 | 農務農地開発 | 農 政 | 農 政 | |
農地開発 | |||||
建 設 | 建 設 | 建 設 | |||
水 産 | 水 産 | 水産林務 | 水産林務 | ||
文教林務 | 文 教 | 文 教 | |||
特 別 委 員 会 |
予 算 | 予 算 | 予 算 | ||
景気対策予算審査 | な し | な し | |||
決 算 | 決 算 | 決 算 | |||
企業会計決算 | 企業会計決算 | 企業会計決算 | |||
総合開発調査 | 総合開発調査 | 総合開発調査 | |||
石炭対策 | 石炭対策 | 石炭対策 | |||
北方領土対策 | 北方領土対策 | 北方領土対策 | |||
エネルギー問題調査 | エネルギー問題調査 | エネルギー問題調査 | |||
公害対策 | 交通安全対策 | 交通安全対策 | |||
国民体育大会推進 | 食の祭典問題調査 | 過疎地域振興対策 | |||
冷害対策 | 北海道新長期総合計画問題調査 | 冷害対策 | |||
北洋漁業対策 | 北海道私立学校教育助成条例審査 | 道営競馬札幌場外発売所問題調査 | |||
懲 罰 | |||||
泊原子力発電所1号機の運転開始に 対する道民投票に関する条例審査 |
|||||
安全の未確立な泊原子力発電所と幌 延の「貯蔵工学センター」を設置しない 条例審査 |
第22期 当選1回目 |
第23期 当選2回目 |
第24期 当選3回目 |
建設→農務農地開発 | 商工労働観光(副)→総務 | 総務(長)→保健環境 |
・予 算 ・決 算 ・企業会計決算 ・総合開発調査 ・公害対策 ・国民体育大会推進 ・冷害対策 |
・予 算(副) ・決 算 ・企業会計決算 ・総合開発調査 ・石炭対策 ・北方領土対策(副) ・交通安全対策 ・食の祭典問題調査 ・エネルギー問題調査 ・懲 罰 ・北海道新長期総合計画問題調査 ・北海道私立学校教育助成条例審査 ・泊原子力発電所1号機の運転開始に対す る道民投票に関する条例審査 ・安全の未確立な泊原子力発電所と幌延の 「貯蔵工学センター」を設置しない条例審査 |
・予 算(長) ・決 算(長) ・企業会計決算 ・総合開発調査(長) ・石炭対策 ・北方領土対策 ・エネルギー問題調査 ・交通安全対策 ・過疎地域振興対策 ・冷害対策 |
在席委員会の内容を見ると、当選一期では地元選挙区の産業等を配慮した常任委員会に配置され、二期目は一期目の一般質問等議会活動を考慮した常任委員会に、特別委員会では短期付託案件も含み非常に多くの委員会に所属している。
三期目には、おそらくは二期目の議会活動が高く評価されたのか、常任委員会では総務委員会委員長に、特別委員会では予算特別委員会・決算特別委員会・総合開発調査委員会の要職三委員会の委員長を務めた。
この総務委員会委員長の就任を祝う上富良野新聞報道があったので、要約掲載する。
・一九九一(H03)10.08 トップ記事要約
――平井進道議会議員
総務常任委員長就任
農協で盛大な祝賀会
―前略―祝賀会が、九月二十九日午後二時から農協三階大ホールで盛大に行われた。
出席は約一七〇名道総務部田村次長、富良野地方各市町村長同議長をはじめ各町村の後援会長、幹事長などと地元からは町議会議員、選管、教委、農委などの各委員、商工会、農協の各役員、草分、東中両改良区の代表、住民会長、自民党支部関係者など。
―中略―道議会総務常任委員会は道議会の道政全般にわたる調整を兼ねた重要な委員会で、その委員長は各常任委員長、特別委員長十四名のトップに位置付けされているポスト。三期目の平井氏が選任されたのは、日頃の議会における活躍が道議会でも認められたものと高く評されている。
今年春の選挙では、珍しく無競争で当選を果たし、道議会の構成で、総務委員長に選ばれ就任したもので過去二期八年間では「日の丸、君が代問題」「国際識字年と問題点」などを取りあげて質問し、横文字、カナ文字の安易な使用を厳しく追求して、日刊紙などでも大きく報道された。―後略―
八 二期・三期当選への道
この項では、平井道議の地元と北海道との懸け橋的役割、議会活動についてまとめていく。
二期目になる一九八七(昭和六二)年四月一二日の北海道議会第一一回(二三期)選挙では候補者は前第一〇回と同じ顔ぶれになって、現職が議席を守った。しかし、西尾・平井の自民党の票が社会党渋谷へ流れる結果になっている。この統一地方選挙結果の全国集計も、得票・議席数共に自民党が大きく減らし、この分が社会党と共産党等革新系へ流れ、「自民党大敗」の文字が報道に流れた。
渋谷澄夫(社会・和寒町) 三〇九六二 四期
西尾六七(自民・美深町) 二七三九三 六期
平井 進(自民・上富良野町) 一七五五〇 二期
柴山昌春(共産・上川町) 三〇八五 落選
なお、三期目の一九九一(平成三)年四月七日執行の選挙では、現職三人の他に立候補がなく、無投票当選となっている。
◆ 平井道議会議員を支えた後援会 ◆
一九八九(平成元)年一月現在
平井進連合後援会会長 菅 野 學
鷹栖後援会 会長 酒 井 健 一
東神楽後援会 会長 谷 村 徳 一
東川後援会 会長 山 田 貞 男
比布後援会 会長 亀 川 儀 春
当麻後援会 会長 松 尾 勲
愛別後援会 会長 矢 野 秀 雄
上川後援会 会長 井 村 重 一
美瑛後援会 会長 水 上 義 男
上富良野後援会 会長 菅 野 學
中富良野後援会 会長 仲 条 末 吉
南富良野後援会 会長 佐々木 剛
占冠後援会 会長 小 峰 清 次
(1) 地方議員の役割
選挙によって選ばれた自治体議員の大きな任務は、選挙区住民の課題や要望を、市町村長・知事等の首長施策に反映することにある。市町村議員は通常市町村区域を選挙区にするので、首長と議員が取り組むべき問題は共通している。
しかし、都道府県議会議員となると、大きく事情は変わる。知事は、都道府県を一つの選挙区とした直接選挙で選ばれるため、独自信念に基づく施策以外は、住民に平準化したものとなる。
都道府県議会議員の場合は、多くの選挙区からそれぞれ、地域課題や要望を施策に反映する役割を担って選ばれてくる。
この課題解決の場が、議会本会議と委員会活動なのだが、本会議で首長に対して、議員個人が行う「一般質問」と所属会派の「代表質問」が、施策に直接反映される。
平井道議の選挙区で言えば、四市を除く二〇町村域の課題を担うわけだが、農林業を中心とする第一次産業を基幹産業とする以外、市町村が抱える課題はさまざまである。上川選挙区では即日開票されているので、投票された票数は当日夜半には集計されて、当選者が決まる。
通常市町村別の得票は、翌日の主要地方新聞に掲載され、当選道議は獲得票数の多・少を役割負託の重・軽に重ねることになる。結果として、平井道議は美瑛と富良野地域四町村を地元として活動することになった。全方位を見ながらも軸足を地元に置くという、実にシビアな世界である。
(2) 地域課題を道政へ反映
筆者(北向)は、当時上富良野町役場に勤務していて、平井道議とは助役時代に、物理的に近い(一〇メートル程度)事務机で仕事をしており、助役室での執務姿を垣間見ている。
私の叔父と机を並べた同級生というということで、道議会議員になってからも、役場に来庁時に声をかけてくれた。
私事はさておいて、町の課長や町長等理事者、町内経済団体の代表者は、平井道議の居宅が上富良野町内にあり、かつ知己の関係だったことから、様々な相談事や負託案件を持ち込んでいたようである。
町では、毎年一〇月頃から、懸案となっている事業の実現に向けて、要望書にまとめて関係者・機関に提出している。平井道議の前、上富良野を地元と扱ってくれるのは村上彜明道議だったが、平井道議に変わってからは、要望事案の実現性が向上した記憶がある。
筆者は、一九八八(昭和六三)年四月教育委員会から企画課に異動になったが、その年の一二月に入って十勝岳の活動が活発化し、ついに一六日に小噴火、一八日、一九日、二四日と小噴火が続き、二五日に火災サージを伴う中規模噴火が発生した。この後小規模噴火を繰り返し、翌一九八九(平成元)年三月五日の噴火を最後に二一回(旭川地方気象台発表)の噴火で終息した。
役場、消防及び自衛隊等防災関係機関では、町の消防庁舎に設置した「十勝岳噴火災害対策本部」を中心に、年末から年始の各種災害対策に追われた。活動火山対策特別措置法に基づく避難施設緊急整備地域の指定を受け、上富良野町と美瑛町から北海道や国(北海道開発局)へ要請・要望が相次いで出されたが、平井道議は地元議員として所管への根回しや交渉を行っていただいたようである。また、横路知事と共に上富良野町の対策本部を訪問し、状況調査を行った。
一九八九(平成元)年から一九九一(平成三)にかけて、十勝岳噴火災害対策に関連する事業は道路、河川、農業施設等次々と採択され、補助や起債許可が得られたとは言え、困惑するほどであった。
この時期は、平井道議の二期目に当たっており、道庁内にも発言・影響力は届いていた。
掲載省略:写真 十勝岳噴火災害対策本部で状況を聞く(平井道議・酒匂上富良野町長・横路北海道知事)
(3) 活躍の場は一般質問
議会の定例会及び臨時会の開催回数は暦年で整理され、令和六年を例にすると、「令和六年第一回定例会」「令和六年第一回臨時会」のように名称する。
選挙による改選があったときは、臨時会を開いて議会運営に関する諸事項について、「議決」「指定」「指名」「報告」等により手続する。
平井道議の初議会、一九八三(昭和五八)年五月一一日から一七日までの会期で開催されたのは、「昭和五八年第一回臨時会」のため一般質問はなかったのだが、同年七月開催の「昭和五八年第二回定例会」で、本領を発揮して一般質問に登壇した。
上富良野町助役・教育長時代において、議会対応に慣れているとはいえ、新人議員として各地後援会、後援者への挨拶行脚など様々な行事に時間を割かれる中で、一般質問に向けた資料収集、調査研究を行うことは容易ではないと思われる。
一般質問は事前の通告をすることにより、議員の誰でもができるが、一般質問ができる定例会の会期の関係で、道議会では一定例会で二〇人前後となっているようだ。
同僚議員に「探究勉学の人」と言わせた所以(ゆえん)である。これを皮切りに、定例会一般質問、所属委員会での質問連発が始まった。
この内容は、開催ごとに発行される議事録にまとめられているが、平井道議は自費により一般質問等議会活動をまとめた冊子を刊行した。
『北海道議会 質疑あれこれ』A5版 159頁
発行日:平成二(一九九〇)年一月二一日
掲載省略:写真 『北海道議会 質疑あれこれ』冊子
この冊子には、一九八三(昭和五八)年七月一六日(一般質問)から一九八八(昭和六三)年一二月一二日(代表質問)までの全部の要録(質問要旨をまとめたもの)と主な八件の「質疑・答弁記録全文」のほか、議会活動の様子が掲載されている。
この後は、常任委員会と特別委員会に於いて、委員長・副委員長を務めることが多くなったこともあり、質問の機会は減ったが、任期を終える一九九五(平成七)年四月まで、議会に臨む姿勢は変わらなかった。
この『北海道議会 質疑あれこれ』の冒頭に「まえがき」として、二期目を迎えた心境と発刊趣旨が書かれているので、ここに転載する。
ま え が き
北海道議会議員 平 井 進
道議の議席を得てから早いもので二期目も半ばを過ぎようとしています。
初議会で真っ先に質問したことが昨日のことのように想い出されます。
一般質問、予算、決算、企業決算等毎回質問に立った或る時は質問魔とささやかれたこともありました。日頃議会のほか各委員会、道連及各町村間の仕事など多忙にまぎれ、私を支えていただいた皆様にお会いすることが少なく、まったく疎遠がちで申し訳なく思っています。そこで「平井は道議会でどんな課題を取り上げ質問しているのか」を知っていただくのも後援会の皆さんへの御恩返しの一端になれば幸いであると考え代表質問を終えた機会にこれまでの質疑内容を取りまとめてみました。
尚質疑の全部を登載すると莫大なページになるので主なるもののみにしました。また今回の発刊に当り私を陰ながら応援して頂いた方々に心からお礼を申し上げると共に本書を目にしていただく方々の今後一層の御隆盛と御多幸を心から祈念いたしまして前書きに代えます。
掲載省略:写真 一般質問に立つ平井道議会議員
紙面の都合から、特にマスコミからも注目を受けたものに絞って、一般質問要録を載せる。
●昭和59年第四回定例議会
〈一般質問〉 (昭和59年12月18日)
質問先:横路孝弘知事
@ 市町村振興補助金、振興基金に関し、枠の拡大、振興補助金の一団体一事業の弾力的運用、振興基金の貸付期間の延長
A 北方領土と訪ソに関し、訪ソした場合の北方領土問題に対する所信
B 冬期日米共同訓練に関し、共同訓練に対する認識、反対行動に対する見解等
●昭和60年第一回定例議会
〈一般質問〉 (昭和60年3月15日)
質問先:横路孝弘知事・植村敏教育長
@ 国旗掲揚と国歌斉唱に関し、日の丸と君が代を国旗・国歌と認めることへの所見、道が主催する行事等で国旗・国歌等を用いるよう指示した通達の有無・通達を出した時期と趣旨、道及び出先機関における国旗掲揚と国歌斉唱の実態、成人式等の道職員を対象とした行事等において国旗掲揚・国歌斉唱を実施する考え、道内消防機関の出初め式等における実態、道内の公立学校の入学式等における実態と実施していない学校に対する指導の経過と今後の指導方針、道内市町村の成人式における国旗・国歌の取り扱いの実態
A 国際青年年に関し、この年を契機とした青年問題に対する道民へのPRの必要性、国際青年年を意義ある充実したものにするための方策と決意
●昭和61年第一回定例議会
〈一般質問〉 (昭和61年3月18日)
質問先:横路孝弘知事
@ 国際平和年に関し、平和を持続してきた要因、執行方針の中の「平和のために働きかけ〜」の意味、「北の大地から」の表現と北の脅威との関連、平和維持と防衛力、国を愛する気風への所感
A 国防と自衛隊の存在に関し、我国の平和にとっての日米安保体制の有効性、道民の防衛に対する理解
B 災害等緊急時における食糧等物資の確保に関し、道内の食糧・物資の備蓄状況、道産米の貯蔵方法の開発の必要性等
●昭和62年第二回定例議会
〈一般質問〉 (昭和62年7月20日)
質問先:横路孝弘知事・澤宜彦教育長
@ 教育問題に関し、教科書以外の教材を使用した授業が行われている事実の有無・教科書及び補助教材の意義と学校への指導、副読本の取り扱いについての指導状況、主任問題に対する所見、主任制度の正常な運営に対するこれまでの努力と結果への認識
A 防災問題に関し、火山噴火の防災対策、火山噴火時の避難対策
B 農業問題に関し、米の品種開発への取り組みと米の貯蔵保管への見解、異性化糖のてん菜生産に与える影響、てん菜の安定生産への対策等
●昭和63年第一回定例議会
〈一般質問〉 (昭和63年3月17日)
質問先:横路孝弘知事
@ 知事の政治姿勢に関し、防衛に対する知事の考え方、自衛隊幹部との懇談への考え方、懇談会のメンバー、懇談の内容
A 漁業の振興に関し、本道における内水面漁業の現状、振興対策への今後の取組、本道河川の汚染の実態、汚濁河川の水質保全への今後の取組、内水面漁業組合会の体制強化に対する指導方法、漁網の防藻剤(TBTO)使用の実態と魚への影響、使用に際しての指導状況
B 農地の流動化と資金対策に関し、農地の流動化が停滞している現況、オーバーローン農家の負債整理などへの対処策、新規就農者確保に対する考え方と今後の取組、農地等取得資金の償還期限等にかかる国への要望結果、現在の取組み状況等
九 勇 退
平井道議会議員から、一九九五(平成七)年四月に予定されている道議会議員選挙に、出馬しないとの連絡が入った。最初に受け取ったのは、おそらく上富良野後援会の日頃から親しくしている友人で、相談のレベルから波紋を広げながら、ある程度時間をかけて根回しを済ませてからの判断だと思われる。
選挙時点で満七二歳になるが、年齢が理由とは思われず、三期目が無投票当選であったことが、判断に影響している可能性がある。
上富良野新聞の報道は次の通り。
・一九九四(H6)04・25 トップ記事全文
平井道議(総務委員長)
四選不出馬を決断
早急に後継者選び
このほど、平井進道議会議員から連絡があり、明年四月に予定されている、道議会議員選挙に不出馬を決断し、上富良野後援会をはじめ管内の各後援会にも連絡を終えたと、その意向が伝えられた。
平井道議は、三回の選挙をはじめ、十二年間にわたり町内の皆様から暖かい御支援と御協力を賜り心からお礼を申し上げますと話していた。
後任の候補者については比布町現職明田氏、上川中部愛別町の田渕氏の保守から二人、社会党渋谷氏の後任も当然立候補すると見られ、富良野沿線から平井氏後継者が出ると保守系三氏の激戦が予想される。
美瑛町内で二、三名予定者が噂に出ているが美瑛町内を一本化にしぼり切れないといわれており、上富良野町内でも立候補するといわれており、また中富良野の意向もあり、自民党支部平井後援会役員などが協議を進めることになるようであるが、現在は水面下の段階のようではっきりしない。
平井道議の活躍は数多くあるが、町として道議の地元という恩恵は町職員が一番良く知っている。
十勝岳横断道路(美瑛・十勝岳道々の白金温泉から吹上線などの改良舗装)の着工は平井道議が熱心に予算付を道に迫り、今年は全線の舗装化が出来上がる予定と言われているし、豪雪地域指定から外れている上富、中富両町の自動車税の軽減を認めさせ、年間数千万円の減税を実現させたのも平井氏の執念によるものと感謝されている。
平井道議が不出馬を決断し、勇退の道を選んだ選挙の結果を示しておく。
第二五期(第一三回)北海道議会議員選挙は、一九九五(平成七)年四月九日に執行された。
竹内英順(自民・美瑛町) 二一四八九 一期
渋谷澄夫(社会・和寒町) 一八七三一 六期
明田辰義(自民・比布町) 一三四六七 二期
田渕洋一(無所属・当麻町) 一二九八八 落選
一〇 上富良野にゆかりのある道議
この原稿を書くための調べ物をしていると、歴代の道議会議員に、上富良野町にゆかりのある人の名を見つけたので、ここに紹介しておく。
(1) 北海道議会議員 佐藤初吉氏
(一九四七〜一九五五年)
――隣町の元美瑛町長として知られているが、空知郡美唄町に生まれ、一九一七(大正六)年から一九三七(昭和一二)年まで上富良野村役場に勤務、一九三七(昭和一二)年から美瑛村に職場を変え、一九四四(昭和一九)年から一九四七(昭和二二)年まで美瑛町助役を勤め、一九四七(昭和二二)年から一九五五(昭和三〇)年まで北海道議会議員、一九五五(昭和三〇)年から三期一二年美瑛町長の職にあった。引退後は、娘の嫁ぎ先上富良野町の大和田家に戻られ、お孫さんに囲まれての悠悠自適の老後を過され、昭和五二年享年七八歳で逝去されている。――
中村有秀著「美瑛町に建立の十勝岳爆発碑」
郷土をさぐる(第二六号)から
(2) 北海道議会議員 西尾六七氏
(一九六七〜一九九一年)
――昭和一二(一九三七)年六月九日、現道議会議員西尾六七氏が当時上富良野村役場の庶務主任として発令赴任され、私(著者:白髭)は部下として勤めることになりました。
西尾主任は非常に町村事務に堪能な方で公文書の処理、特に文書の決裁等について徹底して指導されました。私も部下の一人として指導を受けた事が、生涯の公務員生活に大きな力となった事を今尚感謝しています。――
白髭一雄著「憶い出」
郷土をさぐる(第五号)から
付記:西尾氏は、昭和二二(一九四七)年公選第一回町長選挙で美深町六代目町長に就任、この後昭和四二(一九六七)年に北海道議会議員に転身した。
(3) 北海道議会議員 奥野善造氏
(一九五九〜一九七五年)
――滋賀団体であるが、明治四十年奥野仙蔵が十五戸で上富良野村江幌に入植した。団体長仙蔵と兄忠五郎の子孫は、現在富良野市に居住されている。北海道議会議員、北海道選挙管理委員会委員長を務めた奥野善造氏は、江幌小学校の卒業生で、現在富良野市西島沼で元気で老人クラブのリーダーとして活躍中である。――
江尻菊正著「江幌の開拓」
郷土をさぐる(第一五号)から
付記:奥野氏は、一九五九(昭和三四)年〜一九六七(昭和四二)年は上川管内選挙区から、一九六七(昭和四二)年から一九七五(昭和五〇)年は富良野市選挙区から当選している。
《参考資料》
・北海道開拓倶楽部サイト
・北海道屯田倶楽部サイト
・上富良野百年史
・郷土をさぐる誌
・北海道議会事務局広報サイト
・一般社団法人 農業農村整備
情報総合センターサイト「水土の礎」
・富山県博物館協会サイト
・北海道議会質疑あれこれ 平井進著
・ウィキペディア「フリー百科事典」
・都道府県市町村サイト
「市区町村変遷情報 北海道編」
・総務省統計局 統計データ検索サイトe-Stat
・政治情報ライブラリ作成委員会サイト
機関誌 郷土をさぐる(第41号)
2024年3月31日印刷 2024年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀