編集後記
編集委員長 北向 一博
表紙絵には、上富良野町にゆかりのある職業作家や趣味の方々の絵画作品を使わせてもらってきたが、本誌三十九号では戦死者追悼の「忠魂碑」にまつわる記述が、全紙面の半分近くを占めることになったことから、「戦争と平和」をテーマにしたいと考えた。
毎年一一月三日「文化の日」を中心に開催されている「上富良野町文化祭」に記録した展示部門の写真記録の中から、テーマにふさわしいものを探したが、あいにく相応しいものが見当たらなかった。困ったときの救世主である土井義雄氏(本誌の構成・デザインを担当)に相談し、テーマをイメージイラストとして制作していただいたものを使った。土井氏には、過去の号において、投稿記事などでレイアウトする写真や図版などが無い、又は不足する場合に、記事内容に即した巧みな筆致の挿入画により、文字に込められた背景を浮かび上がらせていただいた。土井氏には、一九八三(昭和五十八)年の本誌創刊号以来出版制作を担っていただいている。この機会に、氏を紹介させていただいた。
「後世に語り継ぐ事業シリーズ」の「名誉町民 故石川清一氏」は、本会郷土をさぐる会本田邦光編集委員(農協参事職で退職)の担当する記事だが、長編になったため前号に前編、本号では後編として「上富良野町農業協同組合組合長」の職に係わる「功績と航跡」そして晩年の様子がまとめられた。政界を退き、農協を通じた農民活動に専念したが、思いもかけない農協職員の不祥事の責任を取って、農協組合長を含め多くの職を退いた。上富良野町農業協同組合が出版した『石川清一伝』の末尾に、編集者岸本翠月氏が選んだ短歌集が掲載されている。テーマごとに整理掲載され、時事折々の石川氏の心境が読み取れるものとなっており、テーマごとに二首程度ずつ転載されているので、「三十一文字」に込められた心の変転を味わってもらいたい。
次に「上富良野に生きて」と題して、倉本千代子氏により連載されてきた記事だが、本号が最終号となる。昨年第三十八号の記事中で触れられた上富良野町静修地区を「上富良野第三次開拓について」として、戦後の時代に翻弄された疎開開拓の様子を、当時上富良野村役場の職員として携わった自らの目で記事にした。文頭で、『第三次開拓と言っても、ご存じの方は少ないと思うが、それは私が勝手に名付けたもので、昭和二十年代初頭に、先の東京大空襲で焼け出され行き場を失った人達が「北海道にはまだ開拓の余地がある」という誘いを信じて津軽海峡を渡り、上富良野静修部落の奥地に入植し、明治・大正の開拓に劣らぬ艱難辛苦の末に成し遂げた事実です』と述べている。
平成十(一九九八)年三月に出版された『かみふらの女性史』に、田中きよ子氏の静修開拓の関する手記があり、これを転載して紹介している。
次は、郷土をさぐる会幹事長(兼編集委員)田中正人氏による「上富良野町における新型コロナウイルスとその影響(続)」だが、前号では令和三年度内の感染終息を願って、本号への続編記事を予告して終わった。思いもかけない変異株が次々と発生し、記事執筆の令和四年の年初でギリシャ文字を付したオミクロン株、更にこの派生株までもが現れて、安寧の訪れが見通せない。
前号では、町内で数人の感染者が出た混乱の状況が記述されたが、日本の一日感染者が令和三年八月の二万人超え、また令和四年年始から二月にかけた十万人まで急増の波状感染が続き、著者冒頭の「マスクの着用と手指の消毒は日常的なものとなった」という生活は、まだ続きそうである。残念な思いを持って、来年発行の第四十号の予告記事に、「新型コロナウイルスとその影響(続)」を書かせてもらった。
次は、私北向が「上富良野の気候温暖化を調べてみた」と題して書かせてもらった。本号は、新型コロナウイルス騒動の影響もあってか、掲載記事が少なくなる見込みから、興味を持っていた「気候温暖化」についての記事を企画した。私は六十八歳になるが、子供の頃の冬の記憶が現在と異なっているように感じ、身近なWebサイトで気候、気象、天気に関して調べてみた。この過程で、中学校・高校で学んだ記憶と現在の学識が少しずつ違っていることに気付かされた。私自身の、勉強の復習のような記事内容になってしまったが、この機会だからと思って読者の方々も記憶のリフレッシュをしてもらいたい。主に、気象庁Webサイトの気象データを様々な形で整理・加工してみると、地球温暖化の影響は上富良野においても発現していることが確認できた。
本誌後半に、シリーズ記事「石碑(いしぶみ)が語る上富の歴史」の第十九編として「戦没者二七七柱慰霊の『忠魂碑』について」とする「その一」と「その二」の大作二編を載せた。
記事のきっかけは、「その二」を執筆した田中正人氏の前掲記事「上富良野町における新型コロナウイルスとその影響(続)」の中にも記載されている、「戦没者追悼式の神社境内の一角にある忠魂碑前での開催」であった。戦没者遺族でもある田中氏がこの場に臨んで、年月の経過とともに風化する碑文の判読が難しくなると共に、臨席する遺族が減少することから、忠魂碑に関わる事柄を活字として残す切実性を感じた。
「石碑(いしぶみ)シリーズ」は、中村有秀氏(さぐる会現会長)の主筆であるため、当初は中村氏に相談の上、中村氏の所有資料の提供を受けた田中氏の独立記事として執筆が進められたが、取材過程で記事範囲が徐々に拡大していった。
特に、中村氏の取材によって、他市町村にも忠魂碑等「戦没者慰霊碑」があり、それぞれいわくのある経歴を持っていることが判ってきた。また、中村氏は慰霊祭・招魂祭の催事、招魂碑等慰霊碑の護持に係わる団体・組織についても記録すべきとして、次第に内容が広範になり、最終的には中村氏の記事を「その一」として分担執筆することになったのである。
中村・田中両氏の執筆に当たっては、終戦時の連合国統制の中で多くの資料が消失、更に、政教分離の狭間で催事・護持の主体が移り変わる過程で記録が亡失しているなど、大変な苦労があったと聞いている。
2022(令和4)年3月末日
機関誌 郷土をさぐる(第39号)
2022年3月31日印刷 2022年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀