・一七ページ 上段右から八行目
誤:総べて(動詞形) 正:総て(名詞形)
・一九ページ 下段右から六〜八行目
誤:研修部 研修 正:研修部―研修
誤:奉仕部 環境 正:奉仕部―環境
誤:…ション部 親睦 正:…ション部―親睦
・三四ページ 上段左から二行目
元:会田久左エ門
補足:三七・三八・四三・四四には戸籍名「會田久左エ門」で表記しているが、引用原文
では新字体の通用「会田」で記載されているので、そのまま掲載した。
・四〇ページ 上段右から二行目
元:『光顔巍巍』の碑
補足:十勝岳山頂碑は、揮毫のとおり『光顔巍々』と彫られている。
・八一ページ 上段右から二行目
元:大湊
補足:青森県下北半島大湊町(隣接の田名部町と合併し現在はむつ市)の港で当時は海軍
軍港。現在も海上自衛隊基地がある。
・九〇ページ 下段左から六行目
元:奉安殿
補足:構造や規模に差はあったが、戦前の学校に必ず設置され、天皇皇后両陛下の写真
(御真影、御影ともいう)及び教育勅語を安置した建造物。前を通るときは最敬礼を
しなければならなかった。戦後の昭和二〇年末にGHQ(連合国軍最高司令官総司
令部)から撤去指令が出された。
・一〇一ページ 上段左から六行目
元:オバコ
補足:道端にも生える雑草のオオバコのこと。
・一〇三ページ 下段右から九行目
元:電池の芯
補足:当時の電池はマンガン電池で、炭素が主成分である黒鉛の粉を粘土と混合して棒状
に固めたものを、正極(+極)に使った。この材料は鉛筆の芯とほぼ同じである。