郷土をさぐる会トップページ     第38号目次

編集後記

編集委員長 北向 一博

 表紙絵は、飯村直子氏(絵画サークル「上富良野美ふじ絵画会」所属)作の『西山の丘から』を使わせてもらった。サークルの写生会において、西山の丘からの富良野盆地と十勝岳連峰の大パノラマを、市街地と十勝岳連峰の一部を構図として切り抜いた作品である。「未熟な絵なので…」と固辞されるのを、口説き落として提供いただいた。

 「後世に語り継ぐ事業シリーズ」として、今回は「名誉町民 故石川清一氏」を取り上げた。三六〇ページに及ぶ伝記『石川清一』や出版物を基に、石川清一氏が上富良野農業協同組合長理事であった当時に、農協職員であった郷土をさぐる会本田邦光編集委員(参事職で退職)が担当されてまとめられた。結果として長編になったため、二分割して本号では前編を、次号で後編をお送りする。本号には後述の「和田松ヱ門氏」に係わる記事も掲載しているが、この和田氏の妹を妻にする石川氏は義兄弟で、方向性に違いはあったが北海道内の農民運動と農業団体発展に大きな役割を果たした。この両氏の関係も書かれているので、波乱の生涯を読み進めてもらいたい。

 倉本千代子氏による連載「上富良野に生きて」は第四回目になる。満九十二歳になられるが、なお健筆である。毎回原稿を頂く際に「来年はどうなるかわからない…」と念押しされる。一方では、予告編にも示したが来号には『上富良野の第三次開拓』と題する記事を準備していると意欲旺盛である。
 第四回の記事は、終戦直後の昭和二十一年三月三十日に父西口幸作氏が亡くなり、弟の進学を支えながら、社会変革と物資不足の中で、社会人として羽ばたく奮闘を描いている。

 次は、『「和田松ヱ門回想録」を纏めて〜和田家先祖のルーツを訪ねる旅』と題して、松ヱ門氏子息の和田昭彦氏(郷土をさぐる会編集委員でもある)が執筆された。
 「和田松ヱ門回想録」は、松ヱ門氏の大量の日記や回顧録などの遺稿を基に、和田昭彦氏が兄弟姉妹の協力を得て平成二十六(二〇一四)年七月にA四判六六八ページの大作として出版されたもので、この回想録の編纂経緯を振り返りながら紹介している。
 合わせて編纂途上で明らかになってきた和田家の先祖について、平成十五年・平成十八年・平成二十二年の三回にわたる岐阜・石川・福井県への「ルーツを訪ねる旅」、明治渡道後の足取りを訪ねた平成二十六年の九月と十月の由仁町・南幌町・岩見沢市などへの二回の調査結果がまとめられている。

 上富良野町開基八〇周年を記念して昭和五十三年五月に上富良野町郷土館が開館した。この開館に前後して郷土資料の収集と整理が行われ、この一環として教育委員会から嘱託された加藤・岩田の両氏が中心になって、老人会などの多くの協力者により、録音機を片手に「古老の声」の聞き取り収集が行われた。郷土をさぐる会が昭和五十六年十月に機関誌「郷土をさぐる」の第一号を発刊以来、この収集された「古老の声」から文字を起こした記事を多数掲載してきた。時間を経て、収蔵資料に埋もれていた「文字起こし原稿」を三原康敬編集委員が目にして、苦労した補足調査の結果を加えて今回の記事になった。
 記事は『桐山英一氏からの聞き書き』と題して、昭和二十二年四月〜昭和五十年八月の二十八年に余る町村議会議員、上富良野劇場経営者(昭和十一年ごろ伊藤七郎右衛門が新築した永楽座を昭和十六年に引き継ぐ〜昭和三十八閉館)であった故桐山氏を紹介する。

 令和元年十二月中国武漢市で肺炎患者が発生したが、年が明けた令和二年一月、新種のコロナウイルスが原因と特定された。間もない一月十六日に武漢市在留帰国者に感染が確認され、感染者は日本各地から出始め、とりわけ中国からの冬季観光客が多い北海道に、二月中旬頃からクラスターを形成する感染者が急拡大した。北海道知事は全国に先駆けて「緊急事態宣言」を発出し、さまざまな対策を打った。全国的にも新規感染者数は、四月中旬ピークの第一波、八月上旬ピークの第二波、明けて令和三年一月上旬ピークの第三波が発生したが、幸いにも対策の効果か令和三年三月中旬現在関東都市圏を除いて解除された。
 北海道独自宣言以降、第一〜三波に即した国の政策と北海道の施策、更にこれらに即した町の対策が講じられた。この騒動について「上富良野町における新型コロナウイルスとその影響」と題して、田中正人編集委員が取材結果をまとめた。本号においては令和二年末頃までの記事となっており、この後の状況は来年第三十九号に掲載の予定になっている。

 「中谷先生と十勝岳に関係した内容」を投稿したい旨の申し出があったのは、令和二年八月中旬であった。二〇二〇(令和二)年は、雪氷学の基礎を築いた中谷宇吉郎(一九〇〇〜六二・北海道大学理学部教授)生誕一二十年に当たり、観測と研究の重要なフィールドの一つとなった十勝岳との関りから、各種事業を企画しており、この実施経過や、中谷博士の研究成果である出版物と新聞等報道のリストを掲載したいというものであった。
 申し出は「中谷宇吉郎生誕百二十年記念事業実行委員会 事務局長 山崎敏晴」からで、同氏による『―中谷宇吉郎生誕一二〇年記念行事―〈雪の研究の原点〉中谷宇吉郎と十勝岳・旧白銀荘』と題する原稿が寄せられた。

 次は、『火山現地調査の始まり』と題した三原康敬編集委員の記事である。収集した資料や照会等調査結果、また消防職員時代の自らの十勝岳噴火対策の経験、当時役場職員であった三原氏父上の健吾氏が昭和三十年代の十勝岳現地観測に同行していたという記録などから、札幌管区気象台が主管した現地観測の記録をひもといている。
 戦前には軍事機密情報として扱われたこともあった気象観測に、地震や火山観測業務の統合、予報や警報として公表する新たな体制づくりが進められた。「参考資料〜戦後の火山業務の沿革の経過」を参照願いたい。

 最後は、中村有秀編集委員・会長の「九十余年を刻む『上富良野聖徳太子講』と沿線の太子関係」である。二〇一九(令和元)年七月二十日に行われた「上富良野聖徳太子講創立九〇周年」の記念例大祭をきっかけに、「上富良野聖徳太子講」を歴史記録として遺すため調査を開始したというが、調査協力者の伝手が広がり、結果として一市三町一村の富良野圏域まで調査範囲が拡大した。中村氏の真骨頂である行動力と取材力が発揮され、この成果記録がまとめられた。太子講関係者以外に対しても、後世に残すべき歴史資料となっている。
2021(令和3)年3月末日

機関誌      郷土をさぐる(第38号)
2021年3月31日印刷      2021年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀