編集後記
編集委員長 北向 一博
表紙絵は、山の絵美術館『江幌小屋』佐藤 喬氏の作品集ポストカード『住みかの記憶(上富良野編)』から、「旧十勝岳温泉凌雲閣」の提供をいただいた。
氏は、上富良野の現住地に一九九七(平成九)年に移住し、書き溜めた風景画を展示、出版されており、この中から既刊の郷土をさぐる誌の表紙に、多くを使用させていただいている。本号掲載の三原康敬氏執筆「『旧噴火口』の地名考」にちなんで、一九九四(平成六)年に全面改築される前の懐かしい『旧凌雲閣』の姿絵を選ばせてもらった。
さて、記事の巻頭は、「先人の声を後世に語り継ぐ事業」シリーズとして、『社会貢献賞 竹谷愛子の知られざる功績』を特集した。
上富良野町内においては、「竹谷洋裁学院」経営者として、また、婦人会リーダーとして活躍が知られているが、婦人(女性)防火活動では町内より、むしろ町外における指導的活動が大きく評価され、多方面から表彰・顕彰されている。
洋裁学院経営から派生した、手芸や調理等の指導力は町老人(いしずえ)大学においても発揮されていたことから、一九七二(昭和四十七)年に開設以来現在に至る老人(いしずえ)大学について、少し深掘りした記事も盛り込まれている。
次は、三原康敬氏執筆の「『旧噴火口』の地名考」である。十勝岳温泉凌雲閣が建つ地点から東方に、かつての噴火活動を思い起こすような火口が望める。
この噴火口の名称に焦点を絞り、『安政火口』『旧噴火口』『ヌッカクシ火口』の三つの呼称・表記が混在している実情と、この背景と経緯について、研究図書や出版物の紹介と引用により、様々な考察を加えている。江戸時代末期の蝦夷地(北海道)を探検し、多数の報文を残している松浦武四郎の「十勝日誌」に、現在の十勝岳と思われる火山の噴火が記述されていることから、当時の年号『安政』をもじって『安政火口』と名付けたという起源説もあるが、この真偽も含めて興味深い内容になっている。
次に、倉本千代子氏による連載『上富良野に生きて』である。前号第二回では十キロメートル余りの距離を通学した生徒時代を経て、ようやく社会人になった経過、そして戦中であった当時の生活を、エピソードを交えながら記された。
この第三回では、引き続き、終戦前の倉本少女を取り巻く世情を、冬山出稼ぎ、淡い恋物語、父親の病気看護と死別などを通じて綴っている。悲愴さを感じさせない軽妙な文体に、思わず引き込まれる。
次に、岩ア治男氏による『故 上村重雄氏の寄稿と詩歌』である。農民歌人であった上村重雄氏からの投稿を受けた岩崎氏が、同郷上富良野東中の先輩でもあった上村氏の足跡を執筆すると共に、この寄稿を掲載したものである。
上富良野町内で歌われている多くの記念歌、式歌、団体歌の作詞者に、「上村重雄・上村晴峰」の名が記されていることを改めて知った。この中からいくつかの歌詞も掲載して紹介している。
次は、故 生駒 清氏の手記「海軍戦時徴傭船『長田丸』乗船記」である。
当会編集委員の三原康敬氏が、生駒氏の葬儀の際に、生駒氏が貨物船「長田丸」の船員であった時の戦時体験を記録したノートの存在を知った。早速借りて読んでみると、生駒氏が三等甲板員として乗船していた民間貨物船が、乗組員ごと軍務に従事した内容の手記であった。一度目は千島択捉島北方で米軍魚雷を受けたが沈没を免れて救助、二度目はサンジャック岬沖(現在のベトナム南部ホーチミン市付近沖)で爆撃と機銃掃射により大破沈没という二度の大きな遭難に遭いながらも、無事生還した体験がつづられていた。判読の難しい部分も多くあったが、三原氏の苦労によって、掲載出来たものである。
次は、北越 勲氏による『戦中戦後日常生活の記憶』である。この記事は、上富良野高齢者事業団三十周年事業特別企画として二〇一九(令和元)年五月に発刊された『勲(おれ)の昭和平成追憶史(北越勲氏著作)』から、本会編集委員でもある上富良野高齢者事業団田中正人理事長が、戦中戦後の記述部分を抽出再編集したものである。尋常小学校・国民学校高等科在学中に、大きく変わる社会状況と取り巻く環境変化を、少年期の目線により興味深くつづられている。
最後は、郷土をさぐる会中村有秀会長の『―十勝岳大正噴火泥流罹災者―美瑛村二股地区に集団移住の四三戸について』と題する記事である。記事中に年号・期日を含め多くの数値が登場するため、十・百・千等の位数を省いて、算用数字「0〜9」を漢数字「〇〜九」に置き換える表記方法を取ったので、読みづらいという方もおられると思う。
さて内容を紹介すると、大正十五年に発生した十勝岳噴火泥流災害の多数の罹災者の中には、上富良野村内での復旧・生活再建が困難な方もあり、この中の一部四十三戸が美瑛村二股地区に集団移住したことが記録として残っている。
中村氏は、この移住に関わる経緯や、現在に至るその後について、残されてきた資料や親族等の方々への取材からひも解いた。
二股地区は、泥流罹災移住者四十三戸のほかに、福島県からの七十六戸、宮城県からの二十三戸の団体入植も記録されているが、往時の盛況を偲ばせるものは、ごくわずかに残るのみで、これらに関わる物も収集し掲載している。
2020(令和2)年3月末日
機関誌 郷土をさぐる(第37号)
2020年3月31日印刷 2020年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀