故 上村重雄氏の寄稿と詩歌
岩 崎 治 男 昭和十六年四月七日生(七十八歳)
はじめに
私と上村重雄氏との出会いは、義務教育を終え、父の経営する農業を手伝っている頃のことである。上村氏は東中に住んでいるため、同郷の先輩住民としては存じていたが、農業に従事する社会人として出会ったという意味である。
当時、東中の世帯四百数十戸、住民数一千人近くの住む東中地域活動の中心となって、東中青年団が存在していた。しかし、要となる青年団長の受け手が無いという、問題が発生していた時であった。
東中住民会長上田美一氏、東中農協組合長中西覚蔵氏、上富良野町教育委員長反怖(たんぷ)伊太郎氏、東中青年カウンセラー(相談役)上村重雄氏、東中小学校長安井洵(まこと)氏が、集まり話し合いの結果、岩崎治男を呼べとの事になり、このオトナの会合の中に入れられた。皆さんとはひと廻り以上も年上の面々、何も分からず、団長職を引き受けるしかなかったことを思い出す。
上村重雄氏が青年カウンセラーであったことから、これを機に、青年団活動に対する指導助言だけではなく、私の人生観に関わる様々な影響を与えていただいた。
上村重雄氏概歴
二〇一三(平成二十五)年九月九~十日に執り行われた上村茂雄氏の葬儀において、葬儀委員長を務めた「とかちだけセレモニーサポート」代表の藤田三郎氏の挨拶を参照させていただき、故人の略歴を記載する。
上村氏は一九二八(昭和三)年四月三日上富良野町東七線北十七号において父 上村又蔵さん、母 ルスさんの四男六女の四男として誕生。東中富良野尋常高等小学校高等科を一九四一(昭和十六) 年三月に卒業し、家業の農業を手伝っていた。その後戦争が始まり、予科練に入隊したが、訓練中に終戦を迎えた。
一九五五(昭和三十)年に小野ちよゑさんと結婚し、東八線北十六号に分家して農業を営んできた。二男二女に恵まれ、子供達の学芸会・運動会など学校行事には欠かさず出席され、躾(しつけ)は厳しい中にも優しさがあったと子息が語っている。
孫五人、ひ孫七人に囲まれた悠々自適の生活を送られたが、二〇〇一(平成十三)年に最愛の奥様に先立たれ、二〇〇三(平成十五)年に離農した。
短歌と読書が趣味で、町内でも有数の歌人であり、また詞を作ることが得意で、実名又は「晴峰」名で上富良野町開基百年記念賛歌・上富良野消防団歌・東中小学校運動会応援歌など、数々の作詞をされているので、後段にこのうちいくつかを掲載し紹介する。中には、残念ながら、作曲のないまま受け継がれているものもある。
町の公職歴としては、温厚誠実、まじめで勤勉な人柄から誰からも尊敬、慕われ、明るい選挙推進協議会委員を二十一年、その後選挙管理委員会委員を十二年、通算すると三十三年間に及び歴任された。この功績により二〇一一(平成二十三)年に「上富良野町社会貢献賞」を受賞されている。
二〇一二(平成二十四)年六月に体調を崩し上富良野町立病院に入院。その後入退院を繰り返していたが、二〇一三(平成二十五)年九月七日容態が急変し医師・看護師の懸命の治療と、ご家族の手厚い看護にも関わらず九月八日午後五時二十八分、戦前・戦中・戦後と厳しく目まぐるしく、変遷した社会情勢の中を駆け抜け、行年八十六歳の生涯を終えている。
上村氏からの寄稿
私(岩崎)は、一九九九(平成十一)年八月二十二日執行の上富良野町議会議員選挙に立起して当選、同年八月二十五日から二〇一五(平成二十七)年八月二十四日までの四期十六年間議会議員を勤めさせていただいた。この議会議員になる前のことである。
上富良野開基百年を記念する事業が相次いで実施された一九九七~八(平成九~十)年頃だったと記憶しているが、上村重雄氏から、太平洋戦争戦時下を振り返えった体験を綴ったので、今後出版される郷土に関わる出版物の片隅にでも掲載の配慮を願えないかと、原稿を託された。
この後、機会を見出だせず、原稿を温めてきたが、上村氏が二〇一三(平成二十五)年九月に故人となられたことから、なおさら責任を感じていた。私は、二〇〇七(平成十九)年、賛助会員になっていた「郷土をさぐる会」の正会員に迎えられ、更に編集委員にも入れていただいたので、本誌『郷土をさぐる』への掲載を志していたのだが、当時第二十五号記念拡大号(平成二十年四月一日発行)を編集中であったため叶わず、次号以降へと機会を延ばした。しかし、この後も、私自身が執筆した原稿を含め、掲載予定原稿が多く待ち受けていたため、忸怩(じくじ)たる思いで時が経過してしまった。
私自身の体調もすぐれなくなったため、二〇一五(平成二十七)年に原稿を編集委員会に託すと同時に、編集委員を退く(現在郷土をさぐる会参事)ことにし、以降掲載の記事の補遺・校閲を一任することとした。町議会議員を退いた時を同じくしている。
編集付記:原稿浄書(活字化)は佐川編集委員、補遺・校閲を北向編集委員が担当した。
寄稿 一時代のあかしを贈る (戦時下の少年の頃の想ひ(ママ)出)
上 村 重 雄
すぎし七十余年前、私が当時の小学校高等科一、二年生当時の思い出を託して、平和な日本に住む今の青少年の皆さんに少しでも心のかてとしていただきたいと思い、この稿をたくす。
私が小学校在学中の昭和十二(一九三七)年七月七日夜、支那事変が勃発、郷土在郷軍人に召集令状が、毎夜のごとく配達され、当時の学校児童は毎日のように日の丸の小旗を打ち振りながら、校旗を先頭にして行進し、駅頭まで高学年は見送りしたのであった。今も駅前に佇むとき、当時の歓送のことが走馬燈のようになつかしく想い出される。
昭和十六(一九四一)年十二月八日は、大東亜戦争が勃発し、国民皆兵、国防国家となり、戦時教育一色となり、当時、義務教育の教科書はすべて国定であり、特に修身という科目は政府の指導によって、忠君愛国が教育の柱となっており、当時の先生(教官)の厳しい教育が少国民の心を引きしめ、奮い立たせたのであった。小学校だけではなく、日本国民全体の道徳原理が、忠君愛国であったのである。それを至高の生活規範として守らなければならなかったのである。
すべての国民が、至上命令として自己の生命をささげるのが道徳なのであった。体育の時間には、高学年は合同して訓練に励んだのである。体力向上として木銃訓練、相撲、砲丸投げ、行軍などで鍛錬されたのである。当時のことを思い出すとき、きびしい中にも温かいご指導いただいた先生方の面影が懐かしくしのばれる。
あれから五十有余年の歳月がたったが、当時のことが次々と思い出され、感無量なものがある。再び、あのような戦争がおこらないように、いつまでも平和な時代であってほしいものと心より希む。
今私は同じ年ごろの子供たちに、当時の私たちの生き方を重ねて想い、平和を喜び、「いじめ」のない明るく楽しい学校生活、クラブ活動を活発にすこやかに、そしてたくましく頑張ってほしい。
すぎし日の想い出は、汲めども尽きぬ泉のごとくつぎからつぎと胸奥より湧き出てて―なつかしく走馬燈のように―。
しかも歳月は日に月に流れ去っていくが、思い出は、いっこうに色あせてゆくことなく、鮮明に甦ってくるのが不思議に思う今日この頃なのである。きっと生涯私の胸中で生きつづけることだろう―。
つきせぬ懐かしき想い出のかずかず―。若い世代の皆さまには、再びかえらぬ青春の一日一日を大切にして、あらゆることを自ら進んで体験して、悔いのない青春時代を頑張って下さい。
心から皆さまの今後一層のご活躍を期待いたしてやみません。
最善を尽くし、さらにより良く、大いなる希望をもって未来に力強くはばたいて下さい。思いのままを託して所感といたします。
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この稿を書き終えた日の夜、一中学生がこられ「郷土研究として戦時下の思い出」を聞かれたが、今となっては、開戦の日と終戦の日の感慨を、正確に回想することは、おそらく困難ではないだろうか。
戦後五十余年の歳月のなかで、いつとはなしに私たちのものの考え方は、大なり小なり戦後的になっているからであることはいなめない事実でないかと思うものです。今、私たちは平和な生活をしております。すぎし大戦下の農村生活を思うときよくたえてきたなあーと今さら感慨無量なものがあり、涙わき出づるのを止(や)むすべない日々です。再びくりかえしてはならないと心に固く誓うものです。
これからは地域同好者の皆さまと、郷土誌史研究、文芸創作(短歌・俳句・詩)研究などの趣味を通しての触れ合い、学びあいを大切にして、生涯の糧(かて)として生かし続けたいと思っております。
見識を高めながら趣味を生かして多くの人達とのふれあいを高め、人生のよりどころといたしたいと念っておりますので同好皆さま方のご指導助言をお願い申し上げます。
各種団体等に贈られた詩歌
上村氏は、様々な団体の式歌や記念歌を作詞して贈っており、この中からごく一部を掲載する。
《上富良野町開基100年記念讃歌》
作詞 上村 重雄
作曲 松浦 欣也
1 くまざさの道 原始林
拓きて築く ユートピア
祖父の偉業 偲びつつ
強き腕を 受けつぎて
今ぞ讃えん 一世紀
2 紫彩なす ラベンダー
ほのかな薫りに 和み合い
明るき心 培いて
いしずえ百年 夢元年
佳き日讃えん 一世紀
3 噴煙おおしき 十勝嶺の
そのけだかさを 標べとし
融和ひとすじ 未来につなぎ
いしずえ百年 夢元年
今ぞ進まん 一世紀
掲載省略:写真〜「上富良野町開基100年記念讃歌」は「十勝岳火まつり」に兼ねて平成9年8月3日島津球場で開催された『かみふらの開基100年 夢・ふれあいフェスティバル』において町民募集の合唱隊により披露された
《上富良野町いしずえ大学校歌》
作詞 上村 重雄
作曲 赤間 明徳
1 噴煙あげる 十勝嶺
おおしき姿 仰ぎつつ
拓きし月日 あけくれを
みんな楽しく なごやかに
しのびて語る うれしさよ
ああ 上富良野いしずえ大学
2 文化の花の 咲き匂う
福祉センターに つどいして
進みゆく世に 遅れじと
みんな正しく 健やかに
むつみて学ぶ 楽しさよ
ああ 上富良野いしずえ大学
3 いしずえの松 老いさびて
明けゆく町を 見守りぬ
つきせぬ思い出 語り合い
みんなで励みて かんばしく
郷土の花を 咲かせよう
ああ 上富良野いしずえ大学
掲載省略:写真〜いしずえ大学卒業・修了式
《上富良野混声合唱団団歌》
作詞 上村 重雄
作曲 山根 龍彦
1 朝夕仰ぐ十勝嶺の
ゆたかな噴煙しるべとし
みんな楽しく歌いあう
明るい文化の町づくり
歌声高くこだまして
2 伸びゆく町にこだまする
明るき歌声高らかに
みんな楽しくにぎやかに
なごむ心のし輪をつくる
われらが郷土栄えゆく
3 栄えゆく郷土愛しつつ
明るく強くさわやかに
いそしむ前途に輝ける
楽しいコーラス響きあう
高き文化のユートピア
掲載省略:楽譜(部分)〜上富良野混声合唱団団歌
掲載省略:写真〜定期演奏会風景
《上富良野消防団団歌》
(消防団創設五十周年記念制定)
作詞 上村 重雄
作曲 斉藤 学児
1 見よ十勝嶺を 仰ぎつゝ
不断の練磨と 精鋭車
郷土の防火に 身をささげ
さっそう上富 消防団
2 まもれ平和の 理想郷
まといに誓い 意気雄々し
使命重きに 奮い立つ
勇壮上富 消防団
3 進め伝統の 我が団旗
ゆるぎなき志気 堂々と
大火われを はばむなし
栄光上富 消防団
掲載省略:写真〜消防出初式風景
《東中中学校送別の歌》
作詞 上村 重雄
一 朝夕の空に静けき十勝岳 学びし学び舎の
ここに廃校お別れの 今日のおとづれなにときく
送別悲しく 涙にむせぶ
応援団歌 生徒会歌
ああとこしえに 心にとめて
二 開校以来七十余年 多くの卒業生
学びし年月いかばかり 涙でしのぶ友垣を
護りし月日 なつかしき
今日のしらせ とこしえに
ああ送別の歌 学び舎こいし
三 師の君のあつきみ言葉思い出し 涙にむせぶ学び舎の
ありし校舎なつかしき みんなでたづね渡り合う
よき師、よき学友 おもかげしのぶ
長き年月 ゆめに見る
今日のおとづれ 涙にむせぶ
掲載省略:写真〜平成26年3月閉校の東中中学校(広報かみふらの2014.4.10から)
《里仁老人小唄》
上村 晴峰(重雄) 作
一 くま笹の道 切りひらき
いなきび植えし 思い出を
語り明かそう 手を握り
かわす盃 はずみもつ
二 ゆたかな星を めざしつつ
希望に生きし 年月の
つきぬ思い出 語り合う
あの日のことが 目に浮ぶ
三 元氣で過す 喜びの
老いのたつきを 共々に
助け合いつつ なごやかに
たのしい集い いつまでも
四 朝夕仰ぐ 十勝嶺を
心のしるべと 仰ぎつつ
豊里きずきし 年月を
思えば涙が 湧き出ずる
《本幸青年団歌》
上村 重雄 作詞
小野 宏樹 作曲・補作
一 もゆる十勝の 峰空に
不断の煙 仰ぎつつ
み祖の心を うけつぎて
使命は重し 本幸青年
二 夕べ彩なす 芦別の
不壊の峰を のぞみつつ
わきの営農 とよさわの
希望は強し 本幸青年
三 農村うるおす ベベルイの
清き流れに 勤労の
腕たくましく そい合いで
汗に不屈の 本幸青年
上村氏からの手紙
先の項にも記したが、平成十一年から平成二十七年までの十六年間、多くの方々のご支援ご協力を得て、町議会議員を勤めさせていただいた。この折々に上村氏から、手紙によって、同郷の先輩として助言と激励の言葉をいただいた。
この期間、上村氏は町の選挙管理委員会委員を勤められていて、特定の候補者に肩入れをすることが憚(はばか)れる立場にあるため、書簡という方法を取らざるを得なかったのであろうか。
私事(わたしこと)ながら、万人に通ずる心に響く言葉がつづられていたので、いくつかかいつまんで掲載し、上村氏の人となりを紹介したい。
《平成十四年八月二十六日付》
・つねに心すべきこと―「相手の術中にぜったいにはまらないように」―自分の立場を考え、良心をもって、つねに自分の言葉、行いを考えて。
・自分の中に壁をつくらないこと―だれとでも親しく話しかけること、そのことによって、人に信頼されることができる。わだかまりなく、日々の生活、心正しく清く。
・感情、それは心に感じた気持ち思いです。その感情は、さまざま、一人ひとりにしかない特有なもの、周りの人をなごませるような、感情豊かな人になるようにつねに研修して暮らしましょう。
《平成十四年十二月一日付》
・願うこと―常によく人情の機微を洞察する明を養うように努めることが大切。常に、良心をもって、最善の努力を―
・優しい励ましの言葉を―心のかよう触れ合い友情のきずな大切に―
・心の使い方一つで良心にはじない行い―「襟を正して実行」
・人のプライドをぜったいに傷つけてはならない―このことに日常注意しなければ、人としてはじる行いである。心すべき―
《平成十六年四月二十七日付》
・必要とされる議会―あり方について、研鑽されるように―先輩と後輩きずな固く結んで郷土発展のいしずえとして。
《平成十八年一月三十日付》
・十勝岳 火は生くかぎり たえせねば
そのおおしさを とるべと生きむ(短歌)
・町議会 議政壇上に 火と燃ゆる
熱火の意志を はきて闘へ(短歌)
・地方自治 あらゆることを 学びつつ
議会壇上に 雄魂こめて(短歌)
・ものごとの修業は一生のもの、学問はたえざる努力の、継続によってこそなる。
・プラス言葉心がけ、自分も周りも明るく、一日一日を大切に生きよう。
《平成十八年二月二十六日付》
・年年歳歳相似たり 歳歳年年人同じからず―奥深への挑戦、日々の研修、良心ある言動、初心忘るべからず。
・自分の立場を主張するばかりでなく、時々は相手の立場になってみましょう。
・厳正な規律の下、明るくたくましい任務を完遂させるため、最善の努力を尽くして下さい。常に学ぶ心を忘れず学ぶ喜びの心をもって自ら考える力をもった議員になって下さい。期待いたします。
《平成十八年三月十七日付》
・受けたものを次代の人に伝えていくこと、今、生きるものの責務。
・他人の意見を求める時は、まず自分の意見を持つことが大切。
・寝てる間も 励ますものあり すらすらと
字を書きている 夢よりさめぬ(短歌)
・おくられし 議会報告 よみてをり
春雪の降る 光望みて(短歌)
・心とは 体の中に まもられて
体の声の 発する場所に(短歌)
・心の灯 火もやそつづけて 詠みつげと
激励の便り 先覚に頂く(短歌)
・希むもの
一、真摯な姿勢と、烈烈たる気迫をもって壇上に立て―
二、柔和な中に信念もって―
三、若者をしのぐパワーの持ち主として―
四、生涯懸命、地域づくりのリーダーとして―
五、権力に屈せず、癒着せず、迎合せず、良心をもって臨むこと―
《平成十八年六月五日付》
町議のきみへ
情熱をもって、リーダーとして最善をさらにより良く努力し新しい町政のあり方を研究していただき、一歩前進を大切にし理事者とのなれあいはしないように、独自の研修、全体の反省、議案審議に臨め。
《平成十八年七月二十二日付》
・開拓の 祖先を偲ぶ コレクション
郷愁の館 風花の中に(短歌)
・ゆく水の 流れに洗いし この道具
土にまみれし 汗のしたたり(短歌)
・開拓の 辛苦は貴重な 思い出を
遺されし道具 岩崎コレクション(短歌)
・先人の 使えし道具 そのさびに
思いほの香に 手をふれて見る(短歌)
《平成十八年八月三十一日付》
・時の利、地の利、人の和大切に。精励努力、頑張って下さい。
私は今、万物のおかげで「生かされて、生きている」このことを感謝してありがたく思っております「人の生をうくるは難しく、やがて死すべきものの、いま生命あるは有りがたし」
一日一日を大切に生きよう、感謝の生活―運命にさからうのではなく、運命を生かすように生きましょう―
《平成十八年十月二十六日付》
短歌
○ 先人の 労苦しのびて 百年史
ひもとく夜の 春雪の音
○ 議政壇上 熱火となりて 提言する
議員たのもし 明日に期待を
○ 十勝岳 熱火の意志を 噴きその
おおしさをしるべと 生きやまず
○ もの忘れ 花になぞらへ 過しゆく
忘れな草の 淡き水色
○ 忘れな草の 花になぞらへ 生きてゆく
八十路向かひ 一歩一歩と
○ 忘れな草の メロデーイ くちづさみ
そぞら歩きの たそがれの道
○ 亡き父の 遺訓を守り ひたすらに
世のため尽す 君に幸あれ
○ たらちねの 書かれし思ひ出 参考に
世のため尽す まこといちづに
協 力
とかちだけセレモニーサポート代表 藤田三郎氏
機関誌 郷土をさぐる(第37号)
2020年3月31日印刷 2020年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀